祖父母の名前を知っていますか。
祖父母の名前を知っていますか。こんな質問が出ていた。誰でも4名はいる訳だが。私はおぼろげながらの状態だ。
「てる。良水:鉄熊。賢宗。末野(すえの)。」すえのは平仮名でいいのか。怪しいところだ。ではその上の世代を一人でも知っているか。8人いるわけだが、賢宗おじいさんの母に当る人。曾おばあさんを一人だけ、一緒に暮らしていて、知っているが、名前は忘れてしまった。申し訳ありません。生まれは慶応年間だった。そのご主人は、若くなくなられたということは聞いている。それで、賢宗おじいさんはお寺に預けられ、育ったらしい。
末野おばあさんの父母は山梨の油川というところで、農業をしていた。石原という苗字だと記憶しているが、少し怪しい。今は、ハウス桃をやっているらしい。これは偶然テレビで知った。
良水おじいさんは、鉄熊曾おじいさんの、息子だと思っていたら、同じ人間だという事が分かった。これはネットで偶然知った。という事は、良水おじいさんの、父親はなんと言う名前だろう、土佐から、出てきて小説などを書いていたという話を聞いている。長生きだったそうだ。
良水おじいさんのお母さんの事は、全く分からない。てるおばあさんは、おもしろい人生を歩んだ人だったと聞いている。そのお父さんは横須賀に住む軍人だった人だ。鹿児島から出てきた人と聞いている。
こんな他人には同でもいい事を書くのは、馬鹿げているのだが、どのくらい知っているのかを記録してみた。無視ください。
これが、文字の無い時代というと、5,6代前の祖先の名前が、すらすら出てきて当たり前だった様だ。文字が無い代わりに、記憶するという事に長けていた。文明は進歩するとしても、文化は進歩するとは限らない。
曾おじいさんの名前も知らない時代に生きているということは、私は恥ずかしい事に感じる。寂しい事だと思う。調べれば分かる事かもしれないが、分からない祖先を調べるというのも、一時はやった事だが、それはかなり気恥ずかしい事だ。
私の父も、祖父も、先祖の伝承を良く語った。自分が故郷を離れ、生きることを寂しい事と、根無し草のような意識で感じていたようだ。それで、せめてもの事として、次世代に受け継いでもらおうと語っていた、そんな気がする。
しかし、そうした先祖のことを語る調子が、何か自慢げな所があって、愉快には聞けなかった。だからなるたけ上の空で聞いていたので、良く分からないわけだ。封建社会の中では、家の意識が強いから、家を誇る気持ちが、まだ残っていたのだろう。そうした価値観が、崩壊する戦後社会の中で、居た堪れないものを持って居たのかもしれない。
私自身は、父や母へ尊敬の思いは今も変わらない、これはありがたいことだ。では祖先に対して同様の感謝の思いがあるかといえば、殆ど無い。日本人の幸せ観の中に、祖先に見守られて生きている幸せ意識が大きかった。これは移動しないで生きてこれた、社会の姿だろう。私の祖先のように、一世代ごとに違う場所に生きることになったものは、そうした気持ちを維持する事は難しいと思う。
私の祖先で唯一移動しないで、今も油川で、ハウス桃を栽培している家族は、信玄の時代もそこに居たらしい。そうした暮らしの中では、かなり違う安定感が想像できる。
私の住む地域の大半の家族が、江戸時代からここに住んでいたというが、養子さんが多いというのはあるが、違う価値観に生きているのだろうか。何か違うと思うのは、氏神様の掃除に出るときだ。小さな集落にしては立派な社がある。お祭りの前に掃除に出るのだが、このときは何かみんなの様子が、川掃除に出たときとは違う。多分先祖に見守られている意識が、沸いてきているようだ。大変和やかな、大声をたてない作業になる。