ツリーハウスと穴居生活

   

赤色ヤケイは樹上生活なのか、茂みの中での暮らしなのか。資料では両方の記述があり、私としては自分の類推から、茂みの中ではないかと考えていた。その後東南アジアを何度も現地調査している、山科鳥類研究所の柿澤博士にうかがったところ、即座に樹上です。との事でした。しかし、私としては今でも茂みの方が捨てがたく、色々想像するところだ。つまり、鶏は巣は作らない。巣を作るのは卵を抱く時だけだろう。その時は間違いなく、地上の茂みの中だ。巣の作り方や、ヒヨコの状態からして、樹上は考えられない。とすると、抱卵時期だけ巣篭もりで藪の中。藪の中だから、わからない。

鶏が高いところに上るのはよく知っている。飛び上がるというより歩いて上る。子供の頃は、放し飼いだった鶏は、夜になるとはしごを上り、空中からつるされた鳥かごで寝る事になっていた。どの鶏も暗くなると、家の中に来て、そのままはしごを順番に上っていった。すると、はしごをはずしてしまう。多分猫が食べてしまうのを防いでいたのだと思う。

山北にいた頃も、黒チャボの放し飼いで、3年ほど生きていた鶏は樹上生活だった。斜面に斜めに延びた木を、ヨチヨチ登り見えないところまで上がってしまう。この鶏は人にも近づかないのだが、何故か家からも離れなかった。なんか少し弱ったようだな、と思ったときには見なくなった。野生は厳しい。

樹上が安全か、穴の中が安全か。海がすきか、山がすきか。どちらも好みで捨てがたい所だが。人間の場合は樹上に憧れて、穴の中に暮らすということか。縄文住居を以前作った。小田原で一番眺めのいい丘の上に、作った。最初はティピを作った。所が、あまりに風が強く、畳んだり、広げたりで、傘のような家だった。其の度に4人の作業班が必要と言うので招集が掛かり、あまりの迷惑で、縄文の家建設に挑むことになる。

いい齢をして少年探偵団のような活動ばかりしているわけだが、どうしても泊まりこめるような活動拠点が必要だったのだ。その顛末は又別の機会にして、
穴か木かだ。
ツリーハウスの魅力は、はしごを上げてしまえば、世界から隔絶する、事だろう。下界から独立して、世界を睥睨している感じだ。

最近、縄文の櫓跡が見つかったというが、こういうのはツリーハウスではない。ヨーロッパ人はかなり本格的なものを作ったようだ、メジチ家ではツリーハウスのコンクールを行ったというから、ダビンチの考える樹上家屋など見ものだ。南太平洋全域に樹上生活の先住民がいた。暑い地域だと、暑さと湿気から、ジャングルのもろもろから、ツリーハウスは実用かもしれない。
下からの風の心地よさで、高床が普通だから、樹上へはもう一息だ。

そもそも横穴に住んだのが、始まりで、竪穴住居に変わる。乾燥地域では縦穴を掘りそこから又横穴を掘る家もある。多くは崖に横穴を掘る。ペルシャ人といわれる菩提達磨がインドから中国にやってきて、面壁9年したというのは穴の中の壁と言う事になっている。「壁観」は達磨の宗旨の特徴で、壁となって観る。と言うのだから壁は大切な要素だ。穴の中の壁が信仰の対象という事は多々ある。絵が描いてあるのはおまけのような物で、大地と言うか、壁の奥に延々と続く、重厚な絶対世界への畏敬の念が根本だろう。

穴居生活の内省的世界。ツリーハウスの開放感。最小限の家はどんなものになるのだろうか。

 - 最小限の家づくり