長嶋茂雄さんが亡くなられた。
野球好きでもないし、巨人軍は嫌いだし、当然長嶋さんのファーンではない。それでも亡くなられたのだと、時代の過ぎて行くという寂しい感覚側居てきた。それだけでなく、個人的にもで思うところはあった。3回偶然長嶋さんをお見かけしたことがある。野球場に行かないから、そういう場所ではない。
最初に見たのは世田谷郵便局である。長嶋選手が巨人軍に入る直前だったと思う。一日消防局長と言うことで三軒茶屋に来た。世田谷郵便局は今の場所ではなく、246に面したところにあった。子供の私は結構ここを遊び場にしていた。郵便局の人たちはみんな知り合いだった。
長嶋さんが見たいから世田谷郵便局に行ったわけではない。郵便局で遊んでいたら、長嶋さんの消防局長イベントに巻き込まれた感じだ。さあ子供はどいたどいた、と言うので追い払われて、慌てて郵便局の中に逃げ込んだ。郵便局の前で長嶋さんの挨拶でもあったのかと思う。
所が消防所員役の長嶋さんは挨拶が終わると、郵便局が燃えていると言う想定で郵便局に入ってきたのだ。驚いたのなんの。まさかの展開で、どうしたら良いか分からずオロオロしていると、長嶋さんが大丈夫だよと声をかけてくれた。立教大学を出たところだから、23歳の巨人軍入団が決まった長嶋さんだったのだろう。
小学校2年生ぐらいだったと思うが、間近に見た長嶋さんが光り輝いていたのには驚いた。人間にオーラが出るという実際の姿を見た。びっくりしてしまった。長嶋さんだと言うことは分かったが、唖然としながら郵便局の裏口から逃げ出した。今表口から出たらおかしいことになると言われたのだ。
確かに燃えているはずの郵便局の中から、観客が大勢出てくるかと見守るところへ、子供が出てきたらおかしいことだ。長嶋さんが火を消し止めました。と出て行く手はずなのだろう。この場面の子供の頃のオーラで光り輝く長嶋さんの印象はあまりにも強烈な物だった。今でも別格の人間がいると言うことを思い出せる。
次に見たのは、6年生だったと思う。多摩川の河原である。上野毛の古墳のあたりから、巨人軍の練習場のあたりを上流に向かって歩いていた。当時は遠征すると言ってあちこち歩き回っていたのだ。そのときには他に人は居なかったから、一人で歩いていたのだと思う。
遠くから輝く人が歩いてくるのだ。何だろう。不思議なことだと見ていると、だんだん近づいてくると長嶋さんだった。周りの人に愛想良く挨拶をしながら、陽気に歩いていた。何で知らない人に、こんにちはお元気ですか。などと気さくに話すのか不思議な印象な人だった。
そのときもオーラが光り輝いていた。だから大勢の中に紛れると言うことがない。やたら目立つ。そうでなければそのときも気づかなかった。普通の人でない人間という物が存在するのだと確信した。つまりこの人は演技ではなく、普通の人ではないと言うことを自覚している。
3回目に見かけたのは大分後のことだ。もう監督も辞めた後だと思う。銀座で偶然すれ違った。3人ぐらいで並んで歩いていた。そのときも真ん中にいた長嶋さんだけが、相変わらず光り輝いていた。身振り手振りでしゃべりながら歩いていたが、発光して生きている人間を感じた。
人間には不思議な人も居ると言うことが確認できた。そんな人は長嶋さん以外に、他に見たことがない。長嶋さんは文化勲章と国民栄誉賞を授与している。そんな人は他には居ないだろう。何故文化勲章なのかと言えば、光り輝く希有な人間として国宝だと言うことだったのではないか。
光り輝いたまま亡くなられたのだろう。死んでもそのまま残っていると言われてもそうかもしれないと思うくらいのきがする。キリストとか、ブッダとか言われる人も、長嶋さんのように光り輝いていたのではないか。この人間が発するオーラは、科学的に証明できるような物なのか。
時代の象徴であった長嶋さんが亡くなられて、一時代が終わった。日本の高度成長期が終わったと言うことになる。高度成長して行く日本の輝きだったのだろう。家庭でもあのまま太陽のように光り輝いていたらしい。すごい人だったと改めて思う。すごい日本も、一緒に消えたのだろう。
前向きで、やれば出来ると頑張る。努力もするが、何事もないかのように努力の影を見せない。戦後の社会全体が光り輝こうと全力で、走り続けて生きていたような気がしてくる。長嶋さんほど、時代を反映した人は居なかった。ながしまさんさようなら。頑張り続けた日本もさようなら。