欠ノ上田んぼの種まき
欠ノ上田んぼで種まきが始まった。30人ほど集まり、午前中で終わった。準備もよくできていたのだが、みんなが3つに手分けをして同時並行で作業が進んだ。見ていてずいぶん手際が良くなっていて、これはすごいことになったものだと感心した。
そもそも種まきに30人も集まるということがすごい。そんな田んぼは日本全国を探してもまずはないだろう。ここが自給農業のすごさだ。欠ノ上田んぼは棚田で条件が極めて悪い。うまく管理すれば素晴らしいお米がとれるのだが、大規模農家では生産性が低すぎてやる気もしない農地である。
メンバーがだいぶ増えたのだ。若い人が5人も新しくメンバーになったという。これは何よりも素晴らしいことだ。これだけの大所帯を回してゆけるのは、やはり中心メンバーの人たちの実力が高いからだろう。新しい自給の田んぼをやってみようという人が増えたことがともかくうれしい。
私が石垣に行ったことは間違っていなかった。私がいなくなって農の会はよくなった。新しい人たちが、自由に動き出している。ある意味小田原での、私の役割はずいぶんなくなってきた。やれる限りは小田原に来て、農作業に加わりたいとは思うが、そろそろ邪魔になるのだろうとも思う。
欠ノ上田んぼからは離れようと思う。小田原に来ても田んぼとは距離を置きたいと思う。その方が良い結果になるだろう。その分ほかの作業をやりたい。溜池の草刈りだろうか。大豆の会や、畑の会の手伝いだろうか。手の足りないところをやることにしたい。
今年は半分が苗箱播きである。苗土は土ぼかしである。十分に発酵していて、肥料あたりは起きないない苗土だと判断できた。昨年はここにいくらか問題があった。ただ㎡あたり100gを超えている。少し播種の量が多い気がした。今年は6週の育苗だという。苗が5週間では5葉期にならないためだというのだ。
それは確かに問題である。しかし、5週間で5葉に育てることが、育苗に技術である。100年前長野県で始まった、保温折衷苗代の技術は、試行錯誤の末素晴らしい手植え苗を作る技術なのだ。イネは初期5日で1枚葉を出す。5週あれば、5,5葉期2分げつの苗になるはずだ。
原因は苗代の管理である。土壌の作り方である。そこを改善しないで、期間を延ばすのでは、よい苗にはならない。ところが、農の会の田んぼの達人の吉宮さんが6週育苗だという。播種量は確認する必要がある。これには驚いたが、影響が大きい。今年は6週育苗にしようという人が増えている。
しかしいくら達人が6週育苗だと言っても、よい苗はすくすく、滞りなく成長する苗だ。イネは5葉までの初期5週で5.5が健全な本来の成育速度なのだ。生育ゆっくり苗がいいという人も確かにいるが、黄色い苗がいいという人さえいる。しかし、苗は甘やかして、ぬくぬく育てるのが一番だ。田んぼでたくましく育つためには、ゆりかごである苗代では、過保護がいい。
というようなことをくよくよ思ったが、これが余計なことだ。老爺心である。自ら苦労して、よいやり方にたどり着く以外にない訳だ。欠ノ上田んぼはもう私が離れた方がいいようだ。自給の田んぼはいつもまた最初からやり直すことが面白い。それが自給農業のだいご味だろう。
結局田んぼをやってみて、一番面白いのは、田んぼというものを作ることだった。のぼたん農園で何もない牧場跡地で水牛耕で切り開き、田んぼを作った。この冒険ほど面白いことはない。人生での最高の愉快だ。そして、今石垣島の有機農法の確立に向けて、試行錯誤している。
話は外れるが、最近有機農法という言葉に統一することにした。自然農法とか、自然栽培というのもいいのだが、最近ネット世界で怪しい思い込み農法が広がっている。農業をやってみたいという人が、すぐにはまる。妙に宗教染みていて、科学性がない。やってみればいいが、そこで出来た食糧しか食べないという覚悟のうえでやれということだ。
話は戻る。失敗もまた面白い。失敗を繰り返しているわけだが、少しづつ前に進んでいる。亜熱帯の腐食のない土壌をどうすれば腐食のある田んぼの土壌にできるか、段々に見えてきた。失敗し、発見し、前に進む。その為には自分でやってみなければだめだ。
欠ノ上田んぼも楽しい仲間である。つい行きたいと思うが、幸いというか、偶然というか、予定していた6月1日の田植えが、日にちが変わり、7日になったということだ。飛行機を取ってしまったので残念ながら、参加できない。これで、欠ノ上田んぼにはもうかかわることは終わりにしようと思った。
5月31日、6月1日の田植えは農の会ではたくさんある。ほかの田んぼに参加しようかと思っていたら、昨日お茶摘みで赤松さんにお会いした。坊所田んぼに来てくださいと言ってくれた。それもいいか久しぶりに坊どころ田んぼで田植えをやらせてもらうかと思っている。
今回の小田原も、いろいろやらせてもらえた。溜池の道路舗装。草刈り。ジャガイモの土寄せ。タマネギの草取り。その上に水彩人展の春季展。そして、中川番所跡で写生会に参加した。そして、篠窪で一枚だけ絵が描けた。やれることをやるだけやるのは実にせいせいする。まだその体力があるのがうれしい。
こうして書いている内に急に思いついた。欠ノ上田んぼを離れて、ため池管理グループを農の会で立ち上げたらどうだろうかということだ。人を募集して、ため池の管理だけをするグループ。私が当分溜池管理に専念をする。最初は一人かもしれないがそれでいい。そのうち農の会の中に、だれかが現れるだろう。
考えてみているうちに、舟原ため池の管理が私の小田原の最後の役割だったような気が、もう一度してきた。その気になれば、溜池管理に限定すれば、まだ一人でも溜池管理はできる。できる範囲でいいわけだ。そこから小田原では、やり直してみるのがいいのかもしれない。
なんでも作業を渡部さんに頼ってきたのがいけない。そのうち、溜池管理が好きな人が現れるかもしれない。ため池でカキツバタを育てるだけで面白くて仕方がない。もう一度仕切り直しである。小田原での私のできることを考え直す必要がある。
書きだす前は思いもつかないことだった。しかし、書いてみればそれが一番の方法のようだ。これからは溜池の面白さをもっと人に伝えていくことにしよう。石垣では、睡蓮と蓮を栽培している。この美しさが格別なのだ。見に来る人が驚くほどの場所になっている。
舟原ため池はなんと言っても、カキツバタだ。カキツバタを将来池全体に広げることができれば、さらに素晴らしい場所になるかもしれない。きっと新しい小田原の名所になるだろう。池周辺の植栽ももう少し考えた方がいいかもしれない。これはまごのりさんに相談しよう。
溜池管理ももう一息まで来ている。管理の仕方を合理的に考えなおしてみよう。夏の間は遊歩道だけの草刈りをする。これなら一人でも一日で出来る。冬は池の直しやカキツバタの移植を行う。考えていたら、まだ小田原にも自分の場所があるような気がしてきた。