舟原ため池のこれから
舟原ため池に20年かかわってきた。作業を始めてから10年は経っただろう。私の役割は終わりが来たと思っている。石垣島に引っ越した時にあと5年くらいはやれるかな、とは思っていた。その間に新しい動きが生まれるのかと思っていたが、結局動きは起こることがなかった。
地元地域の舟原で動きがあると思っていたのだが、こちらも反応はなかった。何をしているのだと、怒られたことは何度かある。歴史的にはこのため池は一つ下の集落の欠ノ上のため池であって、舟原のため池ではない。その為にかかわらないものと歴史的になっているのかもしれない。今は小田原市の所有のものである。
本来であれば、小田原市が管理するべきものだ。自分の土地にある歴史的建造物を管理しないというのはおかしなことではないか。そうはいってもやらないので、仕方がなく私が管理をすることにした。農業遺構が次々に失われる中、このため池だけは失ってはならないと思ったからだ。
自分たちの暮らしのそばにこれほど素晴らしい場所があり、自分たちの公園として楽しめるはずなのに、なぜ興味が持てないのか。不思議なことでもあるが、仕方がないことである。昔は自治会長の中には、ため池の整備を呼びかけた人もいたことはいたが、その時も反応がなかった。
今の舟原地域が地域としてのまとまりが失われているのだろうか。舟原に暮らしてはいるが、地域での暮らしの質を上げてゆくためには、何かが欠けているのではないだろうか。私が舟原の自治会長をしたときには、まだ老人会や婦人会があり、地域を大切にしなければという意識もあったのだが。この20年間で大きく変わったような気がする。
現代の若い人たちは地域という関係性での人間関係を避けている傾向がある。地域コミュニティよりも、テーマコミュニティーを大切にする時代。それはそれで已む得ない傾向なのだろうが、自分たちの地域に美しい池があり、素晴らしい公園があることのありがたさは、考えてみないのだろうか。
子供の数が少ないということもあるような気がする。子供のために公園は必要なものだ。遊べる美しい場所があれば、子供の成長には役立つはずだ。子供のために良い自然環境を残さなければ、という意識ははぐくまれる。子供は水遊びが好きだし、必要なものだ。
子供のいない社会では、自分が自然環境に関心がなければ、大切にすべきものに自然は入ってこない。当然のことで人それぞれである。地域のことは寝に帰る場所だけになる。これが現実かもしれない。青葉を見て吐き気を感じるという人間だっている。
地域から舟原ため池を守るという意識が芽生えなかったのは理解できた。では自然保護とか、環境保護とかいう観点で舟原ため池を守ろうという意識がなぜ芽生えなかったかである。森を守ろうというような、活動とは確かにため池の保全は異なる。
しかも、溜池はすでに実際の農業とも切り離されている。欠ノ上地域の田んぼというもの自体が、農の会以外の方でやられている場所は限られている状態である。結局のところ、舟原、欠ノ上の田んぼを守るためには農の会の活動を頑張るほかない。
そう考えると、ため池がもし保全されてゆくとすれば、それはあしがら農の会が行うかどうかにかかっていると、考えるほかない。あしがら農の会の活動として、舟原ため池の保全をどう考えるかしかないのだろう。農の会でやれないということであれば、ため池保全が終わるということだろう。
農の会では周囲で田んぼをやっている。大豆の会の畑もある。ある程度この場所を良い場所にしたいという思いはある人もいる。そうは思うが、私が石垣島にはなれてしまった今、そういうことを呼びかけたとしても、実際にやろうという人が出てくるかどうかである。
呼びかけては見たいと思う。しかし、実現はしないかもしれない。それはそれで仕方がないので、成り行きに任せるほかない。やる人がいない場合、残念なことではあるが、これ以上、舟原ため池の管理をしてゆくことは難しいだろう。消えてしまう前に誰か、気づく人がいればいいのだが。
周辺には農の会の田んぼや大豆の会の畑がある。ここにかかわる人たちで、草刈りぐらいはする人が出てくる可能性はないとは言えない。そういうことは今考えても仕方がない。あたらしい仕組みを作り呼びかけることだけはしたいと思う。