古い友人からの贈り物

   


 上の写真の、この田んぼの景色に惹きつけられて、石垣島に引っ越したようなものだ。その田んぼは石垣島で昨年田んぼを貸してくれた、大浜英太郎さんという方の作られている天水田の田んぼだったことの不思議。そしてこの景色の場所にのぼたん農園を作ることになったさらなる不思議。

 とつぜん、我が家に大量のお菓子が送られてきた。何かの間違えではないかと思ったのだが、古い友人からの贈り物だった。年賀状はいつも出しているのだが、直接会うことも随分無かった。最後にあってからもう一〇年以上が過ぎている。

 あわてて電話を入れた。電話をすることすら一〇年以上経っている。話し出すと昨日の今日である。いっしょに飲んで話したあの時間がすぐ戻ってくる。いつまで経っても昨日の晩のことだ。もう50年も経っているのに、なんたることかと思うが、時間というものは実に主観的なものだ。

 お菓子はのぼたん農園を応援したいと言うことだった。のぼたん農園は一人のことでは無いから有り難く頂いた。そういう思いも頂いて冒険を続けている。だから遠慮しないでみんなに手伝って貰っているし、応援もして貰う。必ず未来に繋がる活動だと考えている。改めてその覚悟をした。

 50年前の友人はいまも肩を組んでいるかのように生きた友人なのだ。その気持ちは人間は時空を越えている。私が石垣島でのぼたん農園に取り組んでいると言うことを知って、応援したい気持ちになってくれたというのだ。私もそうありたいと思った。

 なんとも有り難いことだ。早速お菓子をみんなに配った。そういう友達の励ましの思いがあるから頑張れる。ここに日本一美しい伝統農業の農園を作るという思いは誰かに繋がる。その意味がいつの日か伝わることだと思っている。このことに取り組むことができたと言うことで、この先のやるべき事が明確になった。

 何を絵に描くべきかが、一歩前進したような気持ちがしている。冒険に乗り出して、楽観というものかが見えてきた。身体が教えてくれることがある。楽観は自分の命を越えると言うことだ。私心をはなれると言うことだ。楽観農園で始まったのぼたん農園も建設しながら様々に構想が広がる。構想が広がりながら本質に近づいてゆく。

 毎週絵の感想をくれる友人がいる。彼の金沢本多町の下宿は私の帰り道にあった。夜になって暗い兼六園を通り、家に向かう。つい彼の下宿の窓を叩く。そして窓越しにしばらく話をして下宿に帰る。別段何か用事があるわけだはないが、一言話をして帰りたくなるのだ。理由は無い。人寂しく、友達の顔が見たかっただけだ。

 50年経ってもすべては昨日のことであり、今日やるべき事だ。昨日は小田原の友人が、色々のミカンと、里芋を送ってくれた。彼がいてくれたので、石垣島に来ることが出来た。どれほど感謝しても足りないことだ。彼だけでは無い。農の会のみんながいたから、石垣島でのぼたん農園が始められた。

 送ってくれた里芋は過去最高の美味しさである。子供の頃の向昌院の里芋を思い出す。お弁当で早速食べた。大いに元気が出てくる。のぼたん農園を作ることがおもしろくて成らない。適度に働いて身体は好調である。疲れるほどの労働でも無い。

 すべてのものを有り難く、頂いた。友人の思いも「のぼたん農園」に加わっている。昨日は遅くまで福仲先生は田んぼ整地を続けてくれた。何日もやってくれている。ユンボがもう少しうまくなれば自分でも出来るのだが、最後の仕上げはやっていただく以外にない。

 この思いに絶対に応えなければならないと決意を新たにした。誰しも自分のためなど少しも考えていない。のぼたん農園は未来のための活動なのだ。あまり理解はされないことなのだろう。しかし、自給農業を伝えてゆくことが、日本の未来に繋がってゆくという思いが高まった活動である。

 美しい場所にしたいと思い、溜め池には熱帯睡蓮のテイナという品種を入れた。睡蓮の咲く溜め池が出来たらば、モネのように絵を描いてみようと思う。のぼたん農園を作り、のぼたん農園の絵を描く。何かに導かれているかのようだ。

 命という限りある肉体の最後の挑戦である。まあ、100歳までだからまだ大分あるが、身体が動く間となるとさすがにもう10年はないだろう。のぼたん農園だけはやり遂げたいと思う。毎日新しい田んぼが出来てゆくのがおもしろくて仕方がない。楽観が絵に出ているかもしれない。

 後水尾天皇が修学院離宮を造営した思い。修学院離宮に行ったときに、その本質が一瞬に伝わってきた。江戸時代の幕藩体制の中で、天皇の権力も権威も奪われる。しかし日本の稲作にまつわる水土の文化だけは残さなければならない。天皇家の世界観を庭園として示した。文化を持って国を治める姿なのだろう。

 楽観庭園であるのぼたん農園の意味も伝わる人には伝わる。それでいいのだとおもう。生きるという原点を体験する場。人間が生きると言うことを自給農業を通して体感する場所である。生きる為には食料を生産しなければ成らない。それを自分で確認してみる意味。

 ここで描く絵が何かになるかもしれない。そうあれば良いが、絵はそれほどあまくも無い。まだまだ先があることに違いない。農園の方は5年で完成の目標だが、絵の方は100歳までの日々の1枚である。まだ28年あるからたゆまずすすみたい。

 伝統農業で世界が成り立つと考える人も少ない。何千年もそうして生きてきたことを忘れて違うところに進んでいる人間。人間の生命としての衰退である。一人一人が自立できない世界に生きている。何かにぶら下がろうとあがく生き方。それが世界中を経済競争だけの、歪んだ政治体制を生み出している。

 国家権力というものから、距離をとって自立した世界を作り出す。一人の自給的生活。仲間との共同。次の時代がその先にある事を確認しなければならない。人間は食べるものが確保できて生きることが出来る。そして何をするのが人間であるのかをそれぞれが見付ける。

 のぼたん農園は溜め池と5枚の田んぼがほぼ完成をした。初めての田植えまでの目標がほぼ達成できた。苗代に種を蒔いた量が、田植えに間に合う5枚の田んぼの面積に適合している。2本植えで田植えして、余りも無さそうである。予定調和である。何故予定の播種量が分かったのか不思議だが、のぼたん農園は何かに守られている。

 お菓子を送ってくれた友人の思いを受け取り、次につなげる覚悟である。

 

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