三権分立を考える。

      2025/04/24



 三権分立が維持されていることが、民主政治の大切な要素になる。世界の民主主義は危機に直面している。もう一度三権分立を考え直す必要があるのではないだろうか。特に政権与党が少数の場合、三権分立は重要になる。
 日本国憲法では「立法権」国会、「行政権」内閣、「司法権」 裁判所の3つの権力が独立していること。相互に抑制し合い、全体としての調和を保つことにより、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障する「三権分立」の原則を定めている。

 最近の事件では、斉藤兵庫県知事が何故逮捕されないのかと言うことだ。世論と行政権力に、司法が影響を受けているのではないか。知事という行政者に対して、司法が忖度をして及び腰になっているように見える。本来であれば第三者委員会が犯罪者とした斎藤知事に対して、検察が逮捕調査に入るべきひとである。

 「公益通報者つぶし」のために通報者のプライバシーを晒しその結果相手の名誉を傷つけた為、自殺に追い込んだのだ。それが一般人であれば、懲役にもなり得る犯罪のはずである。しかも、選挙違反と明らかに言える、広告会社との契約についても、未だ逮捕に至っていない。これは日本が権力に対して及び腰な為だろう。

 この成り行きは日本の報道が劣化したために、権力者への批判精神を失った結果とも言える。3つの権力に対する、絶え間のない監視を、行うことが民主主義国家の国民義務であろう。それを育てて、誘導することが役割が報道機関にはある。報道が経営のために劣化しその力を失っている。

 何度も確認したい。日本国憲法では、国会、内閣、裁判所の三つの独立を宣言している。立法権の国会。行政権の内閣。司法権の裁判所。三つの機関が相互に抑制し合い、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障する「三権分立」の原則を憲法は定めてる。

 国民の権利を守るためには、それぞれの権力が独立した、公正な判断力を持たなければならない。この公正な判断がなされないときには、健全な報道機関が存在し、批判精神のある調査報道を行う必要がある。所が報道機関は批判精神を失い、調査報道をする能力を失った。

 そのために、新聞テレビの報道が政治をただす力がない。インターネット報道で情報を得るようになった。インターネット報道は情報の混沌の中にある。陰謀論が渦巻く世界である。インターネット情報から、正しい判断が行われるとは限らない。陰謀論に巻き込まれて、おかしな世論形成がされて、選挙結果も歪まされたものになっている現実がある。

 斉藤知事の再選はまさにそうした事件である。外国である韓国で起きているユン大統領の戒厳令と国家転覆罪については、日本では客観的な報道によって、何が起きているのか俯瞰的に見ることが出きている。所が、斉藤知事事件については、未だ俯瞰的な視野を得ることが出来ないでいる。

 末梢的な事象で世論が揺れ動く状況である。もし、目立ちやがり屋の広告会社の社長の個人的なネットでの発信がなければ、斉藤知事の選挙違反事件は全く社会に現われなかったはずだ。しかし、現れかけたが、今どうなっているのかわからない。今の報道にはそれだけの調査報道能力はないと考えた方が良いのだろう。

 また選挙違反事件がなければ、斉藤知事の内部通報握りつぶし事件もやり過ごして終わりだったはずだ。どれほどの事件でも、たちまちに忘れ去られるのが、今の日本社会の慌ただしさだ。その前にあった、鹿児島県警の本部長の事件握りつぶしに対する内部通報事件など、もう記憶にある人すら少ないだろう。

 権力に対しては、国民一人一人が強い監視力を持たなければならない。それを支えるのが調査報道である。見逃してはいけないことは権力の乱用事件だ。韓国の司法の揺れ動きを見て、日本の司法の恣意的な無視を思い出さなければならない。

 日本には罪を問われない権力者がいるのだ。その筆頭がアベシンゾウ氏であった。アベ氏が暗殺されて、反日組織、統一教会が非合法化した。自民党議員との癒着は120人が自ら申告した数だ。アベシンゾウの調査は全くなされていない。日本の極右勢力に関わる闇である。

 日本を活気ある国から停滞の国に変えてしまった責任者である。それは総理大臣による、偏った大企業優先の政治であった。アベノミクスによって、日本経済を停滞に追い込んだ張本人である。その人を国葬にして恥じないのが自民党であり、日本の報道機関だった。これを忘れてはならない。

 韓国の司法の手によって、戒厳令の発令だけで裁かれることは間違っている。それとは逆に日本の斉藤知事は、司法によって裁かれるべき、内部通報握りつぶし事件が無視されていることになっている。両者ともに三権分立の政治が成立していないことなのだ。司法権が行政権に対して行動がとれないでいる。

 それは日韓だけではない。アメリカもヨーロッパも民主主義が怪しくなってきている。結局は権力の集中を国民が望んでいると言うことになる。中国やロシアの独裁政治に、議会制民主主義が資本主義競争で敗れ始めている結果ではないか。

 日本の権力者にたいして、必要以上に忖度してしまう司法の方は、深刻な問題だと思う。アベ氏の大企業優先の政治で日本は低迷してしまった。日本は瑞穂の国との建前の元、食糧自給率の38%の国になり、競争力のない農業は辞めろと言うことになった。

 建前であった、スマート農業の推進、大企業農業への転換は未だ世界から遅れている。この間世界の食糧危機は深刻さを増しているのだ。アベ政治の無能さによって、日本がここまで衰退を始めたのだ。その責任者たるアベ氏は、司法によって裁かれなければならない行為を繰り返していた。このまま闇に葬り去られようとしている。

 アベ政権の背景にはアメリカへの隷属がある。共勝連合の妄想である。日本が専守防衛から、アメリカの防人として、仮想敵国中国へのミサイル攻撃を可能とした国に変えてしまった。これは明らかに憲法違反である。憲法違反の総理大臣を何故、犯罪者として問うことが出来なかったかである。
 もし早い時点で、司法がアベ氏の統一教会との関係を、調べていれば、多くの被害者が救われていたはずだ。アベ氏を裏から支え、木偶の坊の雁首として利用していたのは、戦前から継続する日本の極右組織なのだ。それは戦時中からの岸信介以来の関係である。

 日本の司法は内閣によって、権力を弱められている。内閣の人事権によって左右されるために、内閣の顔色をうかがう司法になっている。憲法を逸脱する法律が、内閣法制局によって作られている。その判断をする最高裁判所の人事は内閣が行っている。
 
 司法が健全な独立性を回復するためには、憲法裁判所が必要である。立法府が憲法を拡大解釈をして、他国を攻撃する武力の保持を可能とする法律を作ってしまった。国民は戦争に向かっている日本を、傍観している。戦前の日本人も傍観していたのだろう。この流れを食い止めるのは司法の力ではないのだろうか。
 

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