消費税は維持すべき
消費税は維持
自民党以外のすべての政党が消費税の廃止や消費税の税率の下げを主張している。消費税を削減して、国債を発行するという考えが主流のようだ。参議院選挙が近づき、票がほしいからそう主張している。と言う考えなのだろう。
そもそも税金などなければありがたいとは思う。しかし、国という者があり、国民みんなで助け合い、暮らしてゆくためには、必要経費がある。何らかの形で集める他方法がない。集め方には様々意見はあるだろうが、多様なほど良いと考えている。
立憲民主党が出来たときからの、立憲民主党支持者であるが、今回の野田代表の判断は情けない限りだ。新しい野党がどんどん現われているのは、人気取り政党がSNS選挙で注目されているからだ。正しい政策で戦う野党は居なく成ってきた。
消費税廃止は都合の良い自己本位の話だ。すでに莫大な国債を発行し、財政破綻寸前まで来ている。財政再建を第一にやって貰いたい。この莫大な国の借金は、減少している次の世代が返済しなければならないものだ。そこまでして恥ずかしくないのか。私は嫌だ。
借金が嫌いと言うこともあるが、自分たちのことは自分たちで始末を付けなければならない。人間として当たり前の生き方である。自分が借金生活をして、子供にその借金を押しつけるなど、人の親がやるべきことではない。
消費税の性質
消費税は維持すべきものだ。日本の社会は老人社会に突入する。これからこそ、税金が余計に必要になる。税金は集めにくいものだ。消費税の値上げで政権が敗れた過去がある。税金は必要なもので、安いほどよいというものではない。税金の平等性を考える必要がある。
消費税の良さは、誰もが物を買えば払うという所にある。問題点も同じで、どれほどの貧困な人でも物を買えば払わざる得ない。すべての税が、長所と短所がある。全体として、税は多様であればあるほど、ない交ぜになり比較平等になる。
消費税に問題点があるのはよく分かる。だから、低所得層に対する、その消費税分の補填が必要になる。消費税分を補填した生活保護費や、最低納税ラインの引き上げが必要になる。物価が上昇した今、低所得者補填は緊急に必要である。
選挙の前になると、安易な消費税廃止論が広がる。それは誰だって当面はありがたいと思うが、借金生活はやってはいけない。国債を発行して歳入を増やせばいい、という議論もあるが、税金で新産業を作れればいいが、アベノミクスを見れば出来ないことが分かる。
少子化時代
ただでさえ少なく成ってゆく将来世代に、我々老人の生活補填をして貰うことはあり得ないことだ。確かに国債を発行し、景気が良くなる使い方が出来れば、税収が増えて、取り戻せるという考えはある。
しかし現実には、国の借金が膨大に増えたが、一向に新産業は登場しない。景気が良くなったわけではない。いらないリニア-ターカーなどに使っているのだ。大半は結局のところ、今の世代の生活保障に当てられてしまっているのだ。
老朽化公共インフラなどを考えれば、最低限の社会維持すらお金が足りない。建設国債と入っても、新しいインフラに投資できる余裕もない。しかも、教育は少子化が直撃している。財政的に縮小し、大学の研究機能の質が危うくなり始めている。
こんな税金の不足している時に、消費税を廃止するなど、あり得ない考えかただ。特に消費税は社会保障制度のための目的税である。これから社会インフラの老朽化が進む、さらに老齢化社会になる。消費税は止めるわけにはいかない。
消費税の良い点と自給
1,誰にでも同じに課税される。負担の平等化。
2,払いたくなければ、消費しなければ良い。
3,国の安定財源である。
4,経済活動に影響しにくい。
5,脱税の恐れが少ない。
6,外国人も払うし、輸入品にも課税できる。
7,他の税に比べれば、負担感が少ない。
8,消費が抑制され、自給が増える。
特に、この最後の自給が増えるという所に期待している。自分でお米を作れば、消費税など払わないで済む。自分で家を建てれば、消費税は少なくて済む。自給の思想が広がることに期待している。お米は自給し、労働費を考えなければ、10キロ100円で可能だ。
そもそも自給的に暮らす人は、あまり税金のお世話にならない暮らしである。公共インフラのお世話に成る確率も低い。個人的に暮らしているので、国への依存度も少ない人が多い。何でも自分で済ませる人になる。
これはあしがら農の会、35年の経験に基づいている。嘘だと思うなら、実際に確かめて貰いたい。いつでも公開している。石垣島ののぼたん農園では、自給農業の実戦をしているので、参加して貰えば良い。
食糧を自給すると言うことは、自分の立脚点を確立することに成る。安心立命である。3代後半、絵描きを目指し行き詰まり、自給生活を目指した。機械力に頼らず5年間で自給自足を達成すると挑戦した。
そして実現できた。そのときに自分が始まったのだと思う。それまでの未来に対する不安というものが消えた。今日一日を精一杯生活する、その充実を感じるようになった。自分のためだけに絵を描くことが出来るようになった。
自給生活には自分を確立する大切なものがある。消費税を払いたくないなら、自給生活を目指すべきだ。地方の中山間地には、自給向きの良い農地がたくさんある。多分、空き家ならあることだろう。誘致している自治体もあるはずだ。
自給生活は豊かな暮らしである。決して貧しい暮らしではない。都会にはない本当の豊かさがある。消費者ではない、生産者としての暮らしがある。食糧自給は一日2時間で可能のだ。大勢で協力してやれば、一時間でも可能になる。
何故もっと多くの人が始めないのか不思議で成らない。それくらい面白いし、確かなものだ。社会が故人が自立することを恐れて、自給生活を普通の人には不可能なものだと、誤解させているのだと思っている。
自給生活など出来るはずがない。実戦したと入っても信じようとしない人が大勢居る。そこで、実戦する農場をやっている。それでも信じようとしない人が多い。洗脳されている人たちには、目の前にあることすら信じることが出来ないのだろう。
補足、生きる目的
これは消費税とは関係のないことだが、併せて書いておきたいことなのでここに書いておく。自給生活が出来たらば、何をするかである。これはそれぞれが考えなくてはならないことだが、『私絵画』を描くことにした。
生きる目的である。何をして生きるのかである。日々を楽しく、充実して生きるためには、生きる目的が分からなければならない。のぼたん農園を作り上げるための日々は楽しい。しかし、それだけでは、十全ではない。
まだ足りないのだ。自己の探求である。のぼたん農園は外形である。内なる自分の探求がなくしては、本当の安心立命に至ることがない。自分の探求には終わりがない。生きている間は、その命の源にある精神の充実を目指さしたい。
その行為は人それぞれであるのだろうが、好きなことでなければならないのだろう。芸術は生きる目標にふさわしい、深遠なものだと思う。学問、宗教、文化、芸術。目指すべき目標を持ち、日々研鑽をする喜びを知ったことは有り難いことだった。
本当は人のことなど分からない。自分はそうだと言うだけのことだ。消費者にならないこと。表現者として生きること。世の中のためになること。そうありたいと思っている。出来るかどうかは分からないが、方角を定めて日々生きてゆくつもりだ。