甲府盆地を描きに行く

   



 甲府盆地を描くことが今回の小田原行きの目的の一つである。もう少し長ければ余裕があるが、今回は短期間の1週間と言うことになる。のぼたん農園をそれ以上空けるわけにはいかない状況である。また5月にも田植えに来るつもりだ。

 いつも桃の季節には塩山を描いている。1年ごとに果樹栽培が広がっていて、最近は盆地の北側の境川の方も随分果樹が増えた。子供の頃は桑畑が多く、養蚕の地域だった。石だらけの農地で桑畑だから、今のような華やかさは無かった。

 今は様々な果樹畑が広がり、塩山から境川まで花の帯が途切れることが無い。甲府盆地の北側の丘陵地帯はリニアモーターカーが通過する。このことでずいぶん変わった。道が依然とはかなり違う場所を通るようになった。

 昔のことを思うと信じられないような場所に道が出来た。絵は描きやすくなったともいえるのだが、生まれた場所という空気は失われた。それは日本全国そうなのだから仕方がないが、私は今の景色を描くというより、昔の記憶の中の甲府盆地を描いている。


 この景色は大野寺の集落の上の方から、南アルプスを遠望している。この日は一日中見えた。見えていたからいいとも考えていない。どのみち見えなくても見えている。今見て参考にはするが、描いているのは記憶の方なのだと思う。

 中央に見えているのが甲府の街なのだが、子供のころには家はちらほら程度しか見えなかった。その少ない家の頃の記憶を描いている。周りの岡はすべて開墾され畑になっていた。麦とサツマイモだった。耕作された丘陵の美しさは目に焼き付いている。

 もう少し右には八ヶ岳が見える。この美しい山々を風景の屏風として、見ながら育ったのだ。高い場所から見下ろすような空間が、いつの間にか自分の風景の見方になっていた。それは上から見下ろすという偉そうなものではなく、街へのあこがれの視線だったと思う。

 左には坊ケ峰が見えている。私の生まれた藤垈から見ると坊ケ峰が中央に来る。そして正面には甲武信岳が見える。坊ケ峰はすべてが畑だった。そのパッチワークの様な区画が、目に焼き付いている。どこで畑を描いてもあの姿を描いている。畑でない場所でも思い出して描いている。

 左側に南アルプスになる。いずれにしても盆地の中央に甲府の街が見える。甲府盆地はいつも霧が溜まってゆく。直接見ているというより、別世界を見ているかのようだった。湖のように雲が溜まっていた。藤垈は標高350メートルあるので、霞んだ湖の上にあった。



 塩山桃源郷である。桃の花は終わりごろで一面の桃色の海という事はなかった。新緑になりむしろ緑が美しかった。緑の多様な輝きを描いた。描けたとまでは言えないが、爽快な気分だった。足元に緑の輝きと、遠くの山の緑の深さ。どう描いたのだろうか。

 絵を描くという作業は終わりがない。進んでいるのか後退しているのかもわからないが、始めればすぐ描くことに熱中できる。同じ場所を繰り返し描いているのに、飽きるという事は全くない。今は前には難しいから避けたことをさけないで描いているような気がする。

 難しいというのは絵にすることに困難が伴うという事なのだが、別段絵にならないでもよくなったので、何でもやりたいことはやる。これで楽になった。例えば田んぼの水面の底の田面が見えていたら、それを描きたくなる。どう描いたらいいかもわからないが、分からないままに描く。

 描ける範囲が広がったのかもしれない。絵にならなくても平気になったともいえる。絵にするとか、ダメにしない様にとかいう事は、全くどうでもよくなった。こうだなと思いついたことをそのままやってみる。それで十分なことだと思う。



 地面というものが面白い。以前は難しすぎて描く気も起らなかった。それは上手に描かなければという思いがあったからだろう。今はともかく描きたいようにかく。それだけなので、思いついたら描く。描いていてあああやっぱり違うと思う事も多いいのだが、それでいいという事になる。

 違うのだけれども、発見もある。次への道が開けるかもしれない。地面の下をユンボで毎日掘っていたから、地面を見る目が変わったのかもしれない。地中の世界がかなり身近になった。未知の世界である。表面を描くとしてもその下にあるものも見てはいる。

 絵を描く目が見ているものは、視覚的なものだけではない。視覚的に見えている物はきっかけに過ぎない。むしろ絵を描くという事で、その見ている自分の方を描いている。なぜそこをそう見るのかという事を考えている。そのことを解明できないと絵は描けない。

 絵を描くという事は確かに明確になってきた。何を書けばいいのかというようなことはまだわからないが、絵を描く方角は明確になった。一年目は覚えて二年目は忘れる。3年目は正しい動き。絵は覚えるのにそれは長くかかった。

 絵を描く技術はいまだ到達していない。そして最近絵を忘れかけていることがわかる。つまり人の絵が介在しなくなってきた。まだ忘れる過程である。正しい絵という事は、どういう事になるのか。これから正しい絵が現れるとも思えない。

 形から入るという事は絵ではない。だから、正しい絵を探るという事はあり得ない。すべてがやることが正しいともいえるし、すべては間違っているともいえる。絵の深みにはまり込んでいる。自分というものが見つからない限り、正しい絵はないという事なのだろう。

 自分を確立するために、自分というものを明確にするために絵を描くという事がある。絵を描くという事は修行法であって、修行の証のようなものなのかもしれない。回峰行には終わりがあるが、絵を描くという道にはどうも終わりはないようだ。
 今回小田原で描いた絵は来週の日曜展示にまとめて出そうかと思う。連番から言うと割り込む形になるが、なんとなく早く展示した方がいい気がしている。

 - 水彩画