田んぼの水漏れ防止工事

   



 舟原で新しくお借りして、黒柳さんに耕作していただいている3反ほどの田んぼの畔の改修工事を行った。この田んぼは地主さんの下田さんが独力で作り上げた田んぼである。この時代に新しく田んぼを整備するという思いはかけがえのないものに思えた。

 その思いを継続する意味でも、この田んぼを立派に維持しなければならないと思っている。そして未来のどなたかにつないで行きたいと思う。今なら何とかあしがら農の会の共同の力で、田んぼの改修工事も出来る。何とか行うことが出来てほっとしている。

 田んぼを作っているときから継続して様子は見ているので、今起きている田んぼからの大量な水漏れの原因は把握している。石垣の裏側に沢山の穴が空いてしまったと想像した。石垣がモルタルの目地止めがないので、石の間から水が漏り始めると、穴はどんどん広がって行く。

 穴は石垣の裏側全体に及んでいると考えなくては成らない。畦ぎわをすべて掘り起こして、固め治さなければならない。そして石垣の畦にかぶせるように土の畦を作ることにした。浅いコンクリート畦だけではあちこちにひびが入り、棚田では水漏れを防ぐことは難しい。

 もう一つの原因は久野の棚田では硬盤ができにくいと言うことがある。田んぼには3,40センチほどの地中に鶴橋で無ければ、歯が立たないような硬い層が出来る。田んぼから畑に変えたときにはこの硬い層が水の浸透性を遮り良い畑にはならない。

 硬盤は土の中の鉄分がさびて鉄板のように固まったもののようだ。ところが久野の田んぼではこの層があるとしても弱い。だから、畦際などではトラックターが潜り込んでしまうことがままある。硬盤ができない土壌であることも、モグラやオケラが簡単に田んぼに穴を空けることになる。田んぼの水漏れをひどくする原因かと想像される。

 石垣自体がすでに弱くなっている。石垣を崩しては困るので注意を要する工事になった。最初に畔際を石垣から30センチほど離れた場所を一mの深さ、幅50センチほどをユンボで穂田さんと、渡部さんに掘ってもらった。すると、石垣から30センチ離れると穴はほとんど無い。穴があるのはここから石垣の間であることが確認できた。

 まず掘った底をタコで土を突き固めていった。たことはケヤキの20センチほどの丸太に二本の柄を付けたものである。持ち上げては戻し土を固める道具である。畦作りの際もタコで突き固めると良い畦になる。

 固めては土を戻し、50センチほどの深さになったところで、石垣側の土をすべてはがして、底を突き固める。そして剥がした部分から石垣の裏側に土を詰め込んでいく。この部分が一番弱くなっているので、穴に土を入れては突き棒で固めながら押し込んで行く。突き棒とは太さ5センチぐらいの杉丸太である。

 土が一定入ったところで、この部分もタコで叩いて、固めてた。その後全体に土を戻しては突き固めた。その上をユンボを傾けて重量を畦際に欠けながら、土をできる限り押し込んで貰った。畦際の上の部分は高い土の畔にした。

 田んぼ耕作中に水漏れが起きた時には、その高畦の土を使って応急処置が出来るようにした。田んぼが始まってから土を持ち込むのでは手に負えないことになる。一から水漏れが起こるだろうという前提で、土畦を高く作る。その畦を崩しながら穴を埋めて、冬の間に畦に土を足してやる。

 今回も大勢の人が駆けつけて協力してくれた。4日間の工事になったが、延べ人数で30人工になった。一日目は土運び。軽トラダンプで40台を超えたと思う。軽トラダンプで無いと田んぼの中には入れない。軽トラダンプはマゴノりさんからお借りした。

 土は奥の傾斜したやはり下田さんの畑から取った。奥の畑は傾斜がきつく今作が大変だった。今回同時に直す事ができて、良くなったと思う。ここにはエン麦を蒔いて、土をよくする予定だ。エン麦の後には又大豆を作る。畑の直しも出来て一挙両得である。このあたりは比較的石の少ない。関東ローム層である。

 田んぼを作るには良い土である。土の粒子が細かく、水漏れがしにくい。肥料分は少ないが、工作しやすい良くなる土だ。ここに堆肥などの腐植質を入れて行けば、良い耕作土になる。それでも本当に良くなるには3年はかかる。3年間は緑肥のすき込みである。

 今回も無事改修工事ができた。棚田を続けることは手入れである。平場の田んぼとは違う。両方でやってきたが、棚田は工夫が面白い。収量が低いわけでは無い。お米は良いものが出来る。良い水が来る。夜いくらか涼しい。

 こうして27年間、農の会で田んぼをやれているという事は、どこかで困ったことがあった時には、お互いに助け合えるという事だと思う。そうした自分のことだけでない人が大勢いたおかげで農の会はここまでこれたのだと思う。

 自分のことで誰でも精一杯である。ところが農の会には自分のこと以上にみんなのことを考えてくれる人がいる。そういう人がいるおかげで維持されているのだとおもう。多くの組織は中心になる人間がいるが、農の会は誰もが一緒である。

 誰もが一緒であるから、誰もがいくらかづつ人のことを考えてくれるようになっているのだろう。お金を払って誰かがやってくれると言うことは無い。自分がやらない限り何も進まない。こうして、自主的に何かをやれる人が育っているのだと思う。農の会から各地に新規就農した人も10名以上いる。

 それぞれの事情があるので、とてもそこまでは出来ないという人が多数だと思う。しかし、農の会のどこかで他の人のために頑張っている人がいるという事は忘れないでほしいと思っている。いつか人のためにもやれるときが来たら、その時は誰かのために頑張って欲しいと思う。

 人間はどうも自分のためよりも、人のための方が頑張れるようだ。今もコロナに対応してくれている医療関係者の方々は、命をかけて頑張ってくれている。どれほどありがたいことかと思う。こうした人がどれだけ居てくれるかが良い社会であるかどうかなのだろう。

 石垣島に居るときも、農の会の活発な活動のメールが入る。私が離れてからの方が、農の会は活発さが増している。離れて良かったと思う。農の会のような活動が全国に生まれれば、日本の農業もなんとかなると思う。

 - 「ちいさな田んぼのイネづくり」