第31回 水彩画 日曜展示

   

第31回 水彩画 日曜展示



 




96,「藤垈からの甲府盆地の眺め」
P10号 インド手漉き水彩紙 
2020,12






97,「花鳥山からの甲府盆地の眺め」
P10号 ミューズスケッチブック紙
2020,12







98,「花鳥山の大杉」
f5号 インド手漉き水彩紙
2020,12

 今回は久しぶりに甲府で描いたものを展示する。生まれた場所からの眺めである。随分と眺めの良いところで育ったものだと思う。絵を描く為に、絵になるところを探して描く。これは実は自己矛盾だと思っている。

 絵は制作であるのだから、そのまま描いて絵になる場所を見つけてそこを描くというのでは、描写しているにすぎない。制作しているわけでは無い。そう思いながら、そのまま描いて絵になるところを探し歩いている。まだその辺りは未消化である。

 しかし、絵になるなと思いながら描き始めて見ると、最初にそのままうつせば絵になると思ったところからは離れて行く。写す技術が無いからと言うことではさすがに無いと思う。上手は絵でないと思うからだろうか。見えているというものを写すことは出来ない。

 見えているものを、画面で再現するというのは写真とは違う。そのままでは絵にはならない。絵は自分というものの表現である。自分が見ているという世界観が画面に現われていなければならない。そのように成っているのか、成っていないのかは絵を見て貰うほか無い。

 秋から冬への景色というものは石垣島にはない。久しぶりに山梨で絵を描いてこの景色を支配しているものは寂しさだと思った。絵ではそうは見えないのだが、この場所は急斜面の畑なのだ。畑の隅から描いていることなる。この北向きの畑は寂しさが満ちていた。

 寂しさを感じる自分というものは、ここで生まれて、この景色を見て育ち、そして今は石垣島で暮らしている。そうした記憶と繋がっているのだろう。絵はそうした自分が描いているに違いない。この辺も未消化ではあるのだが。

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