自民党の総裁選と民主主義
台風を避けて名蔵湾には船が13隻も入っていた。風待ちというのだろうか。じっと海上で耐えている。これから来る大風を思うと怖いことだろう。何故港に入らないのかは分からない。外国の船で入港すると費用がかかるのだろうか。翌朝行ってみると、12隻になっていた。もう離れた船が居たのだ。
自民党における総裁選が報道されている。その手法は旧態依然とした派閥抗争であり、政策論争等全く関係が無い。誰も手を上げないうちに突然、菅官房長官が名乗りを上げた。そして二階幹事長派閥がそれを押しているというのだ。たちまちに菅氏がほぼアベ後継に決まった。なんともがっかりである。
民主主義とは関係が無いような総裁選である。確かに自民党党内のことではあるが、政治家がいかに議論を重んじ、正しい政策論争を重ねて、自分の党の代表を選ぶのかを見せて貰いたい者だ。民主主義的な手順を見せて貰いたいと国民は思っている。
シバクサの老婆が暴君の政治が少しでも長く続くことを祈っている。何故、あれほどひどい暴君が続くことをお祈りしているのかと尋ねた。生きている間には何人もの暴君がいたものだ。しかし、必ず前の暴君よりもさらにひどい暴君が現われた。これほどひどい暴君の後を思うと、恐ろしくて仕方がないのさ。
菅氏はアベ氏と一緒に長年やってきた同じ穴の狢だろう。忖度政治の継承である。菅氏はやれることはもう充分やったのではないのか。何かアベ氏と違うところああり、遣り足りないことがあるのなら、具体的に憲法改正とか、敵基地攻撃態勢とか、言えば良いだろう。ただ総理大臣になりたいと言われても、どうかと思う。まあ今となっては国民は関係ない自民党総裁選挙のことではある。
菅官房長官が立候補表明したのは、アベ長期政権が確立した利権構造の温存が主たる目的である。これはどう考えてもそれ以外にない。私がやるとすればいままで通り、既得権益は守って行くのでご安心をと言うことだろう。二階派はこれからも忖度させていただきますので、優遇をお願いしますと答えた。と言うことなのだ。
どこまで行っても、自民党政治は腐って行る。既得権が底の底までがんじがらめに政権を取り巻いている。既得権など無かったことにするという人に変わるわけにはもういかないのだろう。それがたとえ自民党の人であってもまずいのではなかろうか。政権交代以外にない。
出来上がった構造を壊したくない。何とか今のまま温存しようとしているのだ。国会議員になった人はいつまでも国会議員の地位にいたいのだ。日本国をよくしたいなどという気持ちはすでに失っている感がある。権力欲で動いている。それだけうまい汁を吸っている。
政権が変わると言うことは、そうした馴れ合いを切ると言うことだ。少しでも政策論理に従って動くと言うことだろう。菅氏が良いとか悪いとか言うのではない。政権が変わるという意味が考えるべきだ。政権は時々革命が起こる必要がある。
もし、菅氏に政治家として実現したいことがあるのならば、こういうことがしたいので、総裁に選んで欲しいと党員に言うべきである。それに賛成と考える、国会議員や県連の党員が投票すれば良いのだろう。自民党は金太郎飴で誰もが違いは無いと言うことか。アベ既得権を守りますと言って歩いているのだろうか。
一票入れた党員にはサクラの会に総理大臣ワクで招待してくれるのか。物言えば唇寒しで、言わぬが花の政治集団。憲法はどう考えるのか。日米安保について日本の考えはあるのか。中国外交はどうするのか。総裁になる以上明確な方針を持つ必要がある。仏頂面で、気に入らなければ無視している官房長官とは違うのだ。
アベ氏は引退会見の際に、次の総裁は政策によって選ばれるのだろう。口淀みながら、質問に答えた。あのときには菅氏が内定を受けていたと考えていい。一体政策を発言しないまま、何故立候補できるのだ。やりたいことがあるから総理大臣になりたいのが普通だ。どうせろくでもないことではあるのだろうが、言わなければだめだろう。
どうも感じとしては河野太郎も菅を推すような気がする。そして次を狙おうと言うことだ。既得権政治ではこうした忖度だけですべてが引きづられて動いて行く。河野氏への唯一の期待は反原子力である。それを明確にして、総理大臣に今こそ名乗りを上げるべきだ。
総理大臣が替わると言うことは何かが変わることでなければならない。アベ政治の継承と言うことは、何ら反省がされないと言うことだ。アベ氏が病気で辞任してアベ時代を批判するのはおかしいという人が居る。マナー違反だというのだ。良かったところを褒めろという。私にはどう探しても何か良いところがあったとは思いつかないのだ。
とんでもない話だ。総理大臣は国民の未来を動かしているのだ。病気で辞めるにしろ、その総括は正しく行うべきである。正しい総括がなければ、次どう進めるべきかが見えてこない。その罪はアベ長期政権は日本人から、意欲を奪った政権である。これが決定的な罪である。
先日もそのことは書いたが、既得権が重視され、忖度する人が優遇される姿を国民は散々見せられた。その結果、自分もかわいがられたいと尻尾を振るぽちになってしまった。気概が失われたのだ。従う根性だけが目立つ日本人になってしまった。
目立てば叩かれる。若いテレビタレントの自死が相次いでいる。その原因は世間からの批判である。同質でないものを叩いて良いことになり始めている。この空気を作り出した一つが、アベ政権だと考えている。何でも従うポチで居ろという空気。
はみ出し者だが、自分の考えを表明するのはそれなりに勇気がいる。しかし、誰かの世話になっているわけではない。いわば、六無齋である。だから、忖度社会の中でも配慮等無く、公平に物を言う人間がいる必要がある。言いにくい人に変わって物を言う。
アベ長期政権は終わらない。国民に終わらせるという意志が無い限り終わらない。菅氏がしばらくやった後、またぞろ第三次アベ政権が登場するのかもしれない。プーチンではないが、やっぱりやって貰うしかないという既得権者が黙っていない気がする。病気が治ればまた出てくる気がして成らない。
菅氏はそもそも病気療養中の一時繋ぎの約束なのかもしれない。選挙制度がこうしたひどい政治状況を作り出している。小選挙区制も辞めなければならない。日本の代表を決める新しい方法を模索すべきだ。ネット選挙にしなければならない。
万が一国民に人気の高い石破茂氏が総理大臣になれば、森友・加計学園問題や「桜を見る会」の問題を再調査する可能性が出てくる。こうして既得権が覆されるかもしれない。これが避けたいが為に、菅官房長官を選択する自民党なのだ。
つくづく、政治は日本人自身の姿が反映していると思う。日本人にはこの国をどんな国にしたいのかという、意志に欠けているのだろう。なんとかなればそれでいいというその日暮らし気分らしい。だから、正義とか、自由とか、民主主義と言う基本的な理念を守り通す気持ちが欠けているような気がして成らない。