食養生ということ

   

 
 健康を維持して行くには何を食べるかは最も重要である。ほどよい運動をして、日々集中して取り組めるものを持つ。そして、良い食べ物を食べる。この三拍子がそろって初めて、100歳まで生きることが出来る可能性が出てくる。もちろんそれとは別枠で運命がある。

 人間の身体は日々の食べるもので出来ているのだから、当然のこと食べ物は大切である。100歳まで健康に生きるためにはよほど良い食事をしなければならない。良い食事とは一般論的な決まりがあるわけではない。自分に合う食べ物を見つけること。世間でこれがいいと言われているものは参考にはなるが、鵜呑みにしたのでは100歳は無理だと思う。

 100歳を越えていきた人の食事の調査を読むと肉が好きだととか、甘いものが好物だとか。玄米以外は食べないとか。まるでそれぞれなのだ。その人にあったものを食べていたから、結果的に100歳人生をやり切ることが出来たと言える。それは意識したかしなかったに関わらずである。

 肉を食べていたので、早く死んだ人やまんじゅう怖いで死んだ人も多いのだろう。一般論も悪くないが、自分の身体を見極めると言うことが重要である。お酒が好きなのだが、それほどは飲まない。飲み過ぎは私の身体に余り身体に良くないからだ。

 酒を飲むと大体500グラムぐらい体重が増える。100CCの泡盛を飲んで500グラム増えるのは計算が合わないようだが、どうもそうなる。泡盛は吸収を高める効果があるのだろうか。そこで、55キロを越えた日には泡盛は飲まない。

 そうなると飲みたいばかりに運動を頑張る。間食など絶対にしない。まんじゅうより泡盛の方が良いからである。それでも週に1回は55キロを超える。その日飲まなければ、具合良く休肝日と言うことになる。

 良い食事とは自分にあった食事と言うことである。自分に合う食事はそれぞれの身体によるので、自分で見極めるほか無い。日々食べ物を意識して、自分の身体を測定して、そして身体の中をじっくりと内観して、食事を決めて行く必要がある。

 食べ過ぎが一番行けない。食事の適量は運動量で変わる。自分が一番動きやすい体重を維持して行く。私の場合は55キロ前後500グラムである。30歳後半までは40キロ台だったから、自給生活を始めて5キロ増えたことになる。それまでは不健康な暮らしだった。

 自給生活を始めてから、何を作ろうか。何が作りやすいのかをまず考えた。そして、食べたいものを当然作ってみた。何でも出来たわけでもない。作りやすいものを中心に食べた。特に主食はお米が一番作りやすかった。お米を主食に選ぶことの出来た民族は幸運だった。他の作物よりカロリー換算で半分の労働で収穫できる。稲作社会の安定性は高かったのではないだろうか。

 そして、鶏が好きだったので、卵と鶏肉を食べた。仏教とは肉食を禁じたが、日本人は魚と鶏は食べても良いことにした。4つ足は食べないという選択は実に賢明な選択だったと思う。安定した社会を維持するには、鶏を飼うことはとても合理性がある。

 そもそも縄文後期以来の日本人は余り肉を食べなかった。お米と、魚介類が食の中心である。しかし常に低栄養状態である。食養生ということで卵や鶏肉は意識して食べられたはずだ。山梨ではヘビや昆虫も身体に良いからと子供は無理しても食べさせていた。

 39歳から食事を考えるようになったのだから32年間である。初めは心土不二と言うことを考えていた。良い食事と言うより、自分を作り出している食べ物をすべて自分の手で作り、自分という存在を作り直してみようと考えた。そのうち、どうせ作るなら、身体に良いものを作ろうと言うことになっていった。

 心機一転のために生活を変えた。30代後半である。絵を描くことが困難になったからだ。絵を描くことを生理的に受け付けられなくなった。絵を描くと吐き気がするようになった。絵描けなくなって絵を止めた。心機一転というか生き方を変える以外になくなった。

 私という、頼りない存在が、身体一つで自給自足が出来るものか挑戦してみようと考えた。ほぼ、三年間で達成することが出来た。完全には五年間かかった。40歳になった頃のことだ。何を食べるかは何を作るかであった。

 お米、鶏、麦、芋、豆類、野菜、山菜。と一つ一つ食べるものを整えた。お米の自給が何より重要に思えた。お米が一年分あれば、自給に近づく。一人分のお米はひと月5キロである。足りない分が小麦や芋となった。タンパク質の供給は鶏である。卵と鶏肉。そして、野菜や山菜はあるときあるものを食べる。

 こうした生活を10年続けて、50歳の頃に心身共に健康になった。つまり、日本の水土はそこで出来るものを食べれば、健康的になるすばらしい土壌と環境だと言うことを実感した。日本であれば、なんとなく当たり前のことだが、健康的な食料が自給的に出来る場所というのは、世界では少ないのかもしれない。

 話が少し遠回りしてしまったが、さらに寄り道になるが、実際に食べるものの前に、朝と昼の二食が前提である。現代社会は三食になったが、朝、昼の二食だった時代は長い。夜は寝るだけなのに食事をするなどもったいなくて出来なかったのだ。午前中二食はまず健康の元である。

 これも肉食禁止と同じく仏教の決めたことだ。実に仏教というものは健康のために良い教えである。仏教が日本にたちまちに定着したのは、まさに日本人の健康に良いという食事だったからではないだろうか。

 本題に入る。主食はお米がいい。出来れば玄米食がいい。玄米食を一日小さな茶碗で二膳だけ。パンとか、うどんとかもいいのだが、出来れば主食はよくかまなければ食べられないものの方が良い。少なくとも一日一回一膳のご飯は食べなければならない。

  次に着目すべきは発酵食品である。必ず、納豆、ヨーグルト、キムチ、生卵、刻みネギ、キムチ、カモンベールチーズ、を入れて、ご飯にかけて毎朝食べている。食後にはヨーグルト、黒バナナである。毎朝同じものを食べているが、実に美味しくて飽きると言うことがない。

 後は海藻入りの味噌汁。石垣島の海藻はなかなか美味しいので、これを入れて味噌汁で食べる。野菜よりどうも海藻の方が良い。後は生野菜。それに少しの肉か魚の干物ぐらいだ。ともかく朝に一番きちっとした食事をする。

 昼間は好きなものを食べる。と言っても量は多くは食べない。昼間はその日食べたいと思うものを食べる。外食も多い。外食の時はファミマのサンドイッチ程度だ。絵を描きながら、食べる。近くにレストランがある場合は食べに行くことよくあった。コロナ以来ファミマにも行かないし、レストランにも行か無いから、家に戻り食べる。
 前段がついつい長くなり、食養生の実際を書けないで今回は終わる。

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