4、原発事故と新型ウイルスとマイクロプラステック

   

4、原発事故と新型ウイルスとマイクロプラステック (大豆の会原稿)
 原発事故も新型ウイルスもマイクロプラステックも現代の文明の限界を示している。人間が豊かな暮らしをしたいというのは当然のことではあるが。人の暮らし方は地球の限界を超えたのではないだろうか。人間と言う動物だけが欲望のままに、その暮らし方を変えてきて、ついには地球の破綻にまで踏み込んでしまったと言うことではないだろうか。
 世界の人口は爆発的に増加を続けている。1日に22万人だそうだ。人口が増加するから、食料生産も増やさなければならない。化学肥料や農薬を使う近代農業である。プランテーション農業の登場である。
 畜産の巨大化も限界を超えている。動物を一カ所に何万頭も飼育すると言うことはどこかにほころびが生まれる。経済競争が合理化と巨大化を生み、化学合成物質を使わざる得ない現代の巨大畜産である。
 ここまで人口が増えても、まだ経済競争のためには人口増加を図らなければならないとしている。わざわざ、奴隷労働のように外国人労働者の導入が農業分野でも行われている。そうした農場を見学したことがあるが、研修生はなばかりで、低賃金の労働力としか思えなかった。
 拡大再生産を続ける人間の暮らしが限界を超えたのだろう。どこかまでか人間は戻る必要がある。安定的に暮らせる自給的な暮らしをに戻る必要がある。新型ウイルスの登場は、大規模畜産などで行われる、消毒という考え方にひとつの原因があると考えている。自然に調和できない規模の畜産が新しいウイルスを生み出す。
 マイクロプラステックも同じである。プラステック製品は便利で生活を楽にはしてくれた。ところがそのありがたい、プラステックが地球環境を変え始めている。豊かな暮らしのはずの足下が崩れ始めている。着実に環境崩壊が近づいている。
 江戸時代に鎖国をした日本は自給的な国家として、循環型社会を構築していた。食料から燃料まで日本の国土の中でまかなうことができていたのだ。地球環境に人間が調和して暮らすためには、江戸時代を否定的な視点を持ちながら、材料にして、文明を見直すことではないだろうか。

 発酵食品に本気になったのは原発事故後である。原発事故では心が萎えててしまった。ここまで人間が努力して進んできた文明というものが間違っていたと言う衝撃である。この絶望感にさいなまれた。こうなることは70年代に想像はしていた。にも拘わらず、何もできないできた自分が情けなかった。人間らしく生きるということの敗北。どうすれば再生できるか。

 原発事故後農の会の活動も停滞に入る。小田原を離れる人。小田原で食べ物を作ってはいけないという人。それぞれの叫びの声を否定することは出来ない。しかし、これまでやってきた活動を止めるわけにも行かない。先のことは全く考えることが出来なかった。

 よく分からないままに、免疫力を高める暮らしを以前以上に取り組むようになる。夜は8時に寝る。身体を冷やさない。発酵食品を食べる。そして免疫力を高める。それは肉体だけではなく、心の免疫力のこともあった。

 発酵という時間に自分の暮らしの日々の祈りを込めてゆく。ぬか床の神様である。ぬか床信仰である。文明の限界を前にして、祈るほか道がなかった。味噌醤油は作らなければならない。
 放射能を発酵食品で乗り切ろうというのだから、非科学的であることは自覚していた。しかし、そうでもしなければいられないような苦しみのなかに落ち込んだ。あれ以来、もう全体のことは諦らめて、何とか心ある者で寄り添うしかないと思うようになった。

 味噌はどうもそれぞれの好みのようだ。私は3年味噌が好きだ。人によっては半年ぐらいが良いという人もいる。新鮮な大豆の味がいいといわれていた。味というものは不思議なもので、その人のたどり着いた場所のような気がする。私は味と言うよりも、発酵の進んだ味噌の方が、免疫力を高めるのではないかと考えるようになった。その結果として、3年味噌が美味しいと感じるようになったと言った方がいい。

 免疫力を高めることを切羽詰まった気持ちで考えた。良く寝てよく食べる。これは日々の暮らしのことなのだろう。日々の暮らしを大切にする。そして最後に人間は死ぬ。人間を取り巻く環境は良いものだけではない。問題のあるものがいくらでもある。その全体を受け入れる以外に健康はないのだと思う。

 原発事故もあるべくしてあったことだと受け入れるほかない。仕方がないと思うようになった。それを止めることの出来なかった私自身に問題があったのだ。今も再稼働している原発を止められない私の問題だと思うようになった。

 日本の伝統食の重要な位置を占めているのが、米麹、味噌、醤油、である。自給生活を心ある人たちで共有してゆく。文明は抜き差しならぬ形で、ゆがんだまま進もうとしている。抵抗のしようもない形で、人の暮らしを覆いつくしている。

 こんな状況の中で自給生活ということは、何かの可能性を秘めているのではないだろうか。「地場・旬・自給」を掲げて進んできた農の会の方向は、このどうしようもない文明の狂いが生じる中での希望ではないだろうか。

続けて、1から3も再掲しておく。

1、自然も人間も発酵で支えられている

 世界で評価されている日本食の基本は大豆食品である。大豆からできる味噌、醤油、納豆は発酵食品である。日本食の基礎を固める大切な食べ物である。発酵食品は免疫力を高めるという事で、ますます注目されてゆくことと思う。人間の身体は発酵がなければ成り立たないものだと思うからだ。

 発酵に興味を持ったのは、日本鶏を飼うことからだった。子供のころからの鶏好きで、小学校の頃には200羽の鶏を飼っていた。30代後半になって山北の山の中で自給の開墾生活を始めた。その一つの動機は鶏を好きなだけ飼いたいという事があった。鶏が暮らしの中にいる。そういう昔からの暮らしを、自分の人力で作り出せるものか試してみた。

 子供のころから日本鶏がともかく好きだった。中でも声良鶏が好きで長年飼いたいと考えていた。秋田、岩手、青森の鶏で、天然記念物に指定されている鶏だ。山北で暮らし始めてすぐに岩手の盛岡の方から声良鶏を分けてもらい飼い始めたのだが、死なせてしまった。鶏の飼い方には相当の自信があっただけに、その困難な飼育に驚いた。貴重な鶏を死なせてしまった申し訳なさもあり、盛岡に謝りに行った。謝りに行きながら、帰りにはまた声良鶏を頂いて帰ることになった。ここから鶏の飼育方法を抜本的に考え直し、飼育技術を高める努力を始めた。

 第一に元気な雛を孵化するという事が重要である。元気な雛でなければ、当然成長をしない。ところが声良鶏は長鳴き鶏で血統が重要とされる。低音の声で、5節ある良い節回しで、20秒をこえて鳴く。そのためには、特定の血統を維持し、他の系統と交配することは極力避けられている。よい系統の鶏は近親交配が続き、良い系統の鶏と言われるほど、飼育が困難になっている。

 その鶏を育てるためにはどうしたらよいのか、試行錯誤を続けた。先ず生命力の強い卵をとらなければならない。10個の卵の内1個が孵化すれば、良いと言われるほど孵化率が低い。良い系統を維持するためには一シーズンに1000個の卵を孵化するといわれていた。

 そうして系統をやっと維持している。親鶏に生命力の強い卵を産む力を付けなければならない。十分に運動できる、放し飼いの環境が必要である。そして生餌である。昆虫やドジョウなどの生餌を与えると、ぐんと活力が増す。試行錯誤して、ついにたどり着いた飼育方法が良い発酵した餌を与えることであった。

 食品添加物、化学農薬、除菌剤、消臭剤、防虫剤、マイクロプラステック、暮らしを取り巻く化学合成物資の増加は、止まるところを知らない。禁止されたかと思うと、新たな未知の物質が登場する。身体を健康に保つためには、暮らしの中で免疫力を高めることがますます重要だと思う。

 免疫力はよく眠るとか、運動をするとか、からだを温ためるとか、当たり前の生活の中で高められると思うが、何より重要なことは良い食べ物を食べる習慣だと思う。人間の身体は、細胞の数が37兆個と言われる。その身体の中にはそれ以上の数の微生物が暮らしていると言われている。

 自分と思う存在が実は、半分以上が自分の中にいる微生物なのかもしれない。この自分の中にいる微生物のかかわりに影響があるのが、発酵食品である。特に腸の中には大量の微生物がいて、微生物が消化吸収に大きな役割をはたしている。

 その微生物の活動には、発酵が大きな役割を担っている。新鮮な野菜や海藻なども生きた微生物を取り入れるという意味で重要なものであるが。発酵食品が生み出す酵素が、生命力の強化には大きな役割を担うということらしい。これは経験的なことで、その仕組みまでは私にはわからない。

 発酵の世界は奥が深い。理解しているわけではない。良い卵をとろうということで、試行錯誤の経験をしただけである。みそ作りや、醤油作りもそうである。より合理的な方法を試行錯誤してきただけである。

 先日、千葉の酒造会社を見学させてもらった。そこで、麹の発酵した姿をまじかに見せて頂けた。素晴らしい麹あった。私の作る麹もまだまだであることを自覚した。お米の芯まで麹菌が回ったものである。発酵時間は48時間と言われていた。良い麹を作るには必ず、もっと良い方法がある。

 おいしいという基準だって、自分の味覚がおかしくなっていれば、身体に良いはずの発酵食品が、いつの間にか身体に悪いものになっている可能性すらある。良い味噌を作るということは、果たしておいしい味噌でいいのかどうか。おいしいと身体に良いということが結び付く味覚は危ういところに来ている気がする。

 発酵に興味を深めたことから学んだことは、自給の暮らしが大切であるということだった。農の会の「地場・旬・自給」の考え方は、発酵から生まれたものである。発酵を試行錯誤しているうちに、たどり着いたものだった。次回は良い卵をを作り出す発酵について。

 

 

2、発酵養鶏を始める。

 鶏を長年飼っていた。良い養鶏を行うために発酵を利用することになった。発酵を利用した餌を作り。発酵させた床の上に鶏を飼育した。発酵を利用しない限り、よい養鶏はできなかった。良い卵とは何か。良い卵とは産まれてから、2か月以上生きている卵である。

 保存しておいて、2ヵ月してから孵化を始めても雛が孵る卵である。自称良い卵を、購入してみて孵化すれば本物か偽物かわかる。全く孵らない卵だっていくらでもある。鶏仲間の間では、卵は1週間たつだけで孵化率がぐんと下がると言われている。

 そして、鶏の飼育法を様々工夫するなか、発酵利用の自然養鶏に至ることになる。餌には2種類の発酵飼料を使う。発酵には大きく嫌気発酵と、好気発酵がある。麹菌は好気発酵である。味噌の発酵は嫌気発酵に近い発酵で熟成させられる。酸素を好む菌類と酸素を嫌う菌類がいる。この両者を組み合わせて使う事で味噌はできる。

 卵も同じである。卵の生命力が増していった。こうして発酵飼料を使う事で、2か月生きている良い卵が出来た。良い卵から産まれた雛は、元気に育ち、長生きしてくれた。この経験から発酵というものは生き物の元気に大いに関係するという事に気づいた。そして、自分の食べるものも発酵食品が大切だと考えるようになった。

 発酵の勉強をしたことはない特別にはない。鶏の良い卵をとるための工夫の中で発酵という方法にたどり着いた。鶏は自分の家で孵化をしていた。自家作出鶏の笹鶏である。良い卵でなければ、よい雛は生まれない。当たり前のことだろう。

 では良い卵とは何か。元気な卵である。生命力の強い卵である。黄みの色がどうであるとか、黄みが盛り上がっているとか、黄みが濃厚であるとか、そういうことは孵化できるということとは関係がない。有精卵を10個孵化してみて、何個孵るか。有精卵を何日保存して、孵化できるか。

 3か月保存して孵化できる卵が最高に良い卵なのだ。良い卵として売られている有精卵を孵化してみるとわかる。まず孵化できる卵がほとんどないだろう。私もあちこちから購入して試してみた。最高の卵などとの能書きばかり大げさな卵が全く孵化できなかったことが普通であった。

 良い卵を模索する過程で、発酵というものに出会うことになる。良いと思われることを何でもやってみては、卵を孵化してみた。この繰り返しを30年続けることになった。ますます、発酵の迷宮に入り込むことになった。

 発酵は分からないことばかりであった。しかし、3か月生きている卵は作ることができた。このよい卵から学んだ。おいしい卵の味とは、3か月生きている卵の味だ。濃厚だとか、味付け卵とか、孵化もできない卵の味をおいしい卵とすることは、人間の味覚のゆがみということだと考えるようになった。

 おいしいものが、身体によい食べ物であるというまともな味覚に自分を改善しなければならない。と考えるようになった。良い卵の味はかなり淡白な味わいである。私のところの卵が雑誌やテレビで取り上げられることが何度かあった。そのたびにグルメという人が訪れては、どうしても食べたいというのだ。そして、どの人も一度きりになった。あまりに物足りない味にがっかりしたにちがいない。

 人間は暮らしに余裕が生まれ、より濃厚な味をグルメとして受け入れるようになったのではないだろうか。その結果、健康に悪いものであっても、おいしいものというゆがんだ味覚文化が育ったのかもしれない。

 鶏にとって卵は命をつなぐ要である。良い卵はおいしいという以前に生命力が強くなければ命をつなぐことができない。生命力が強いと、味が濃いということを混同してはならない。卵を食べるということはその強い生命力をいただくということなのだと思う。

 だから、強い生命力を味わおうと思った。その味から、もう一度最初の人間の身体に良い食べ物の味を学ぼうと考えた。だから、おいしいで卵を売らないことにした。おいしくないかもしれないが、この味から命の味を学んでほしいと。この静かな命の味こそ本当の食べ物だということ。

 良い卵を作り出す方法は発酵だった。一つはサイレージと言われる家畜の飼料製造法である。牛や馬の飼料に草をサイレージする方法がある。牧場につきものの高い塔である。高い塔には草が詰め込んである。

 草は嫌気性の状態で乳酸発酵をする。この乳酸発酵させることで資料の価値が高まる。鶏にも同じことをした。生草の代わりにお茶殻を使い、発酵菌材料としてヤクルトのミルミルを加えた。ビオフェルミンを加えてみたこともある。お茶殻だけではなく、ミカンの搾りかすも始めた。

 そして、オカラもサイレージした。この3つの発酵資料は、そのままでは好んでは食べないものを、鶏は真っ先に食べるものに変わる。もう一つ行ったのが70度以上の高温で発酵させる、好気発酵である。高温化することで安全で良質な資料を作り出すことができる。特に魚のあらを鶏の飼料に使うことは昔からあった。しかしあらを似たものを食べさすと卵は臭みを増す。鰹節は生臭さがなくなる。鰹節の発酵を再現するように、魚のあらを発酵して使うということにした。卵に臭みが映らないことに成功する。次回は鶏の餌から人間の餌に、話を進める。

 


3、発酵は鶏の餌から人間の食べ物へと進んだ。 
 鶏の餌で発酵の世界の未知に分け入った。そして、発酵は鶏だけでなく、自分の身体にもとても大切なものだという事に気づいた。人間の体の中には人間の細胞の数より多い微生物が暮らしている。

 日本の食文化は発酵食文化と言われる。昔の暮らしでは食べ物を保存するという事が、難しかった。冷蔵庫が無かったからだ。乾燥して干物にする。塩をまぶして、漬物にする。かつ節など世界で最も堅い食品と言われる大発明である。保存法として発酵が様々に利用される。それは鶏の餌と同じで、嫌気性の発酵と、好気性の発酵が食品によって巧みに取り入れられることになる。

 これは鶏で良い卵を作る経験の中で、嫌気性と好気性の二つの発酵が不可欠だった。このことから意識して二つの発酵を利用する必要があると考えるようになった。納豆は好気性発酵で、味噌は半嫌気性発酵である。

 発酵によって、毒を消す作用とか。発酵によって、生では食べられなかったような素材が、美味しい食品に変わるというような不思議を経験する。そして、中でも一番の発見は発酵が人間の免疫力を高めるという事に気づいた事だろう。

 野菜でも生野菜で食べるよりも、漬物にして食べることが基本であった。冷蔵庫がなければ、糠床は暮らしの必需品である。嫁入りの時には糠床を持ってきたなどという話が普通にあった。100年も生き抜いた糠床は夏の暑さでも腐敗しない糠床になっているのだ。

 そのぬか床にいる微生物はどんなものなのかは知らないが、確かに夏の暑さにも腐敗しない100年ぬか床はある。日本人は暮らしを受け継ぐ中で、発酵食品を多用に食べる民族になった。納豆、醤油、味噌、 漬物、鰹節、日本酒。日本食の基本食材が、発酵食品といえるほどである。

 その多くが大豆にかかわりがある。大豆は田んぼの畔に作る、アゼクロ豆。1反の田んぼがあり、それを取り囲む畔に大豆を作る。田んぼのお米が米麹になり、畔の大豆が味噌・醤油・納豆になる。

 特に菜食中心の暮らしではタンパク質を大豆でとることになる。大豆が畑のお肉と言われるゆえんである。しかし、大豆は余りに大量に食べると体に良くない面もある。豆類の中でも大豆は植物毒を多く含んでいる。それが、発酵させることで、味噌、醤油、納豆、のような免疫を高める食品に変わる。

 日本人の食に深く関わってきた。田んぼの恵みを考える必要がある。畦には畦くろまめ(大豆)をつくる。田んぼでできたお米を発酵させて麹を作る。畦の大豆と麹を使い、味噌、醤油が作られる。田んぼの稲わらからは納豆菌が取り出される。大豆を煮て、それを稲わらで包んだだけで出来るのが納豆である。

 稲わらにはお米を発酵させる黒麹菌が現れる。稲わらにいる麹菌を増殖させて麹菌を取ることができる。田んぼの宇宙は日本人の醗酵食の源である。田んぼでお米を作るだけではもったいない。畔大豆を作らなければならない。

 こういう思いが高まる。美味しい大豆というものを取り寄せてあれこれ作ってみた。日本にはたぶん1000種を超える大豆があったのではないだろうか。どこの地域にも地大豆があった。どれほどおいしいと言われる大豆であっても、取り寄せて作ってみると案外においしくなかった。

 その土地にあった大豆というものがあるようだ。大豆は特別にそこの土という環境に適応してゆく作物のようだ。その土地の微生物とどのように共生して成育するかによって、大豆の味にかかわってゆく。だから、一年作ってダメだった大豆も10年作ればおいしくなるのかもしれない。こうして、美味しい大豆を見つけたのが、小糸在来種であった。小糸在来種は千葉県の小糸川周辺で作られてきた品種である。

 米麹を作ると毎年必ず、玄米で作ろうという人がいる。玄米食が健康という意識がある体と思われる。だから、味噌麹も玄米麹で仕込みたいという気持ちは当然である。お米から糠を取り去ることは大切な部分を捨てているようなものだという事になる。

 ところが、玄米を発酵させるのはとても難しい。米麹の発酵で重要なことはお米の奥まで菌が食い込んでゆくかである。表面だけ白く菌が回るのは普通である。しかしそれだけでは十分ではない。菌がお米の芯まで繁殖しなければならない。そうならなければ、酵素の量が充分ではない。

 日本酒の発酵で、周りの糠を60%も削るというような、もったいないことを何故するのか。それはお米の周辺部は大切なお米の命を守るための、防御層だからだ。お米の籾にはもみ殻があり、玄米には硬い糠層がある。こうしてお米は何重にも菌の浸食を防いでいる。だから、糠層を削り取り去ることで、日本酒は良い麹の醗酵に至ったのだ。

 もし、糠にあるミネラルを必要と考えるのであれば、糠自体を味噌づくりの、違う段階で蒸した糠を混ぜ込む方がいいはずである。美味しい大豆と、美味しいお米の出会いが、美味しい味噌である。

 味噌も永くみんなで作っていると、それぞれの好みが出てくるようだ。私は3年味噌が好きだ。人によっては半年ぐらいが良いという人もいる。新鮮な大豆の味がいいといわれていた。味というものは不思議なもので、その人のたどり着いた場所のような気がする。



 
4、原発事故と新型ウイルスとマイクロプラステック  笹村 出
 原発事故も新型ウイルスもマイクロプラステックも現代の文明の限界を示している。人間が豊かな暮らしをしたいというのは当然のことではあるが。人の暮らし方は地球の限界を超えたのではないだろうか。人間と言う動物だけが欲望のままに、その暮らし方を変えてきて、ついには地球の破綻にまで踏み込んでしまったと言うことではないだろうか。
 世界の人口は爆発的に増加を続けている。1日に22万人だそうだ。人口が増加するから、食料生産も増やさなければならない。化学肥料や農薬を使う近代農業である。プランテーション農業の登場である。
 畜産の巨大化も限界を超えている。動物を一カ所に何万頭も飼育すると言うことはどこかにほころびが生まれる。経済競争が合理化と巨大化を生み、化学合成物質を使わざる得ない現代の巨大畜産である。
 ここまで人口が増えても、まだ経済競争のためには人口増加を図らなければならないとしている。わざわざ、奴隷労働のように外国人労働者の導入が農業分野でも行われている。そうした農場を見学したことがあるが、研修生はなばかりで、低賃金の労働力としか思えなかった。
 拡大再生産を続ける人間の暮らしが限界を超えたのだろう。どこかの地点まで、人間は戻る必要がある。自給的な暮らしに戻る必要がある。新型ウイルスの登場は、大規模畜産などで行われる、消毒という考え方にひとつの原因があると考えている。自然に調和できない規模の畜産が新しいウイルスを生み出す。
 マイクロプラステックも同じである。プラステック製品は便利で生活を楽にはしてくれた。ところがそのありがたい、プラステックが地球環境を変え始めている。豊かな暮らしのはずの足下が崩れ始めている。着実に環境崩壊が近づいている。
 江戸時代に鎖国をした日本は自給的な国家として、循環型社会を構築していた。食料から燃料まで日本の国土の中でまかなうことができていたのだ。地球環境に人間が調和して暮らすためには、江戸時代を否定的な視点を持ちながら、材料にして、文明を見直すことではないだろうか。

 

 発酵食品に本気になったのは原発事故後である。原発事故では心が萎えてしまった。ここまで人間が努力して進んできた文明というものが間違っていたと言う衝撃である。この絶望感にさいなまれた。こうなることは70年代に想像はしていた。にも拘わらず、何もできないできた自分が情けなかった。人間らしく生きるということの敗北。どうすれば再生できるか。

 

 原発事故後農の会の活動も停滞に入る。小田原を離れる人。小田原で食べ物を作ってはいけないという人。それぞれの叫びの声を否定することは出来ない。しかし、これまでやってきた活動を止めるわけにも行かない。先のことは全く考えることが出来なかった。

 

 よく分からないままに、免疫力を高める暮らしを以前以上に取り組むようになる。夜は8時に寝る。身体を冷やさない。発酵食品を食べる。そして免疫力を高める。それは肉体だけではなく、心の免疫力のこともあった。

 

 発酵という時間に自分の暮らしの日々の祈りを込めてゆく。ぬか床の神様である。ぬか床信仰である。文明の限界を前にして、祈るほか道がなかった。味噌醤油は作らなければならない。
 放射能を発酵食品で乗り切ろうというのだから、非科学的であることは自覚していた。しかし、そうでもしなければいられないような苦しみのなかに落ち込んだ。あれ以来、もう全体のことは諦らめて、何とか心ある者で寄り添うしかないと思うようになった。

 

 味噌はどうもそれぞれの好みのようだ。私は3年味噌が好きだ。人によっては半年ぐらいが良いという人もいる。新鮮な大豆の味がいいといわれていた。味というものは不思議なもので、その人のたどり着いた場所のような気がする。私は味と言うよりも、発酵の進んだ味噌の方が、免疫力を高めるのではないかと考えるようになった。その結果として、3年味噌が美味しいと感じるようになったと言った方がいい。

 

 免疫力を高めることを切羽詰まった気持ちで考えた。良く寝てよく食べる。これは日々の暮らしのことなのだろう。日々の暮らしを大切にする。そして最後に人間は死ぬ。人間を取り巻く環境は良いものだけではない。問題のあるものがいくらでもある。その全体を受け入れる以外に健康はないのだと思う。

 

 原発事故もあるべくしてあったことだと受け入れるほかない。仕方がないと思うようになった。それを止めることの出来なかった私自身に問題があったのだ。今も再稼働している原発を止められない私の問題だと思うようになった。

 

 日本の伝統食の重要な位置を占めているのが、米麹、味噌、醤油、である。自給生活を心ある人たちで共有してゆく。文明は抜き差しならぬ形で、ゆがんだまま進もうとしている。抵抗のしようもない形で、人の暮らしを覆いつくしている。

 

 こんな状況の中で自給生活ということは、何かの可能性を秘めているのではないだろうか。「地場・旬・自給」を掲げて進んできた農の会の方向は、このどうしようもない文明の狂いが生じる中での希望ではないだろうか。

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