日本の方角を変える、大きな機会が来ている。

   



 日本はアベノミクスで大変な借金を積み増していた。もう危険水域に来ていた。その状況にコロナウイルスである。これでまた、国の借金が底なしに増加している。借金が次の新しい産業を生み出す事ができる、前向きな投資であればまだ良いが。何も生み出すことの無い借金である。

 国と地方の借金合計が1100兆円を超え、GDPに対する債務比率が230%で、世界188カ国中188位。世界最悪と言う状態。コロナウイルス対応で当面、政府が赤字国債を増発し、対策資金をつないでいくのも仕方ないとは思う。日銀の国債買い入れもしばらくやめられないだろう。

 いくらでも国はお金を増刷すればいいという、「MMT」現代貨幣理論と言う悪魔的な考えを実践しているかのようである。政府の借金が膨大になれば国は破綻する。どうすれば国の借金を減らせるのか、それこそ出口戦略を再構築しなければならないだろう。借金は必ず返さなければならない。次の世代が返さなければならないお金なのだ。

 経済がコロナウイルスで極めて危険になっている。これは世界中同じことである。とくに、観光立国で急場を救われてきた日本にとっては、人の交流が一番影響を受けるこの状況は、深刻な事態である。石垣島に暮らしていると、すべての産業が観光に繋がっていることが見える。

 石垣島は日本の状況が見えてくるような、縮図である。観光客には来て貰いたいが、コロナは怖い。当面は来島自粛要請。観光客が来ないようにするためにキャンペーンをしている。この状態がどこまで続けられるかである。もし、コロナが3年続くとしても、来島自粛で行けるかである。

 それは不可能である。日本全体も同じである。感染が行き渡らない限り、あるいはワクチンができない限り、観光は推進することは出来ない。推進したとしても、もう以前のようには来てくれない可能性が高い。状況が変わるためには3年はかかるだろうから、経済は3年間にどう耐えればいいのだろう。

 財政が世界で一番悪かった日本が経済危機が一番迫っていると言える。アベノミクスの本当の意味は、企業を潤し、企業活動が盛んにすることにあった。税金をつぎ込んで企業の経営状態が良くなれば、日本経済は浮上するという考えである。

 それでも企業が新しい事業展開を出来なかった。出来ないどころか、内部留保を増やして、新規の産業への投資などしない。つまり、企業自体がお金を投資して利益を出すというような実体経済から離れていった。

 国は新規産業が生まれないことをみとめて、今度は観光立国とカジノ経済である。原発事故後の日本は、循環型エネルギー産業の創出に先進国の中で、国民の同意が一番得られる状況が生まれていた。国民の多くが、原発を止めて循環型エネルギーへの転換コストを受け入れうるチャンスであった。

 ところがアベ政権の本質である、既得権益を守るという思想から、電力産業の転換をしぶり、原発輸出を掲げた。このあまりにも愚かな誰が考えても失敗するような政策のために循環型エネルギーへの転換の機会を失ってしまった。こんなアベ政権では、コロナ危機からの脱出は難しいだろう。

 この時期にアベ政権という無能政権は不運だった。同時にそのアベ政権に長期にわたりしがみつく以外に道が思いつかない、日本人というものの弱まりでも有ると思う。政府が間違っているにしても、企業人の中から循環エネルギーにおいて傑出した新規事業を展開する企業が登場する可能性はあった。

 ところが、そうした日本の企業は登場するどころか、中国に比べてもはるかに遅れた分野になってしまった。中国が今にも崩壊すると騒いでいたのが、自民党議員である。アジアの中でも遅れ始めている日本の現状を見たくないというのが、アベ政権である。

 明治政府の亡霊に取り憑かれて、相変わらず日本帝国主義を夢見ている。過去にしがみつく姿はまさに、未来を見ることが怖いからである。戦後の高度成長期が誕生したのは、失うものがもう何もないという挑戦的な気持ちが社会にあったからだろう。やれることは何でもやって生き抜くしかなかった。

 ところが安定したぬるま湯の中で、下り坂を迎えている現状。日本はまだ何とか上れるという幻想にしがみついている。もう上るどころではない。世界最悪の借金国になっているのだ。いつ経済崩壊が起きても不思議はない。

 世界の投資マネーが今のところは日本に集まる。国民も他の投資先よりはまだ安定資産であると考える国債を購入している。しかし、いつ潮目が変わるかは分からない。世界経済は戦争状態なのだ。コロナで一事休戦をしているが、米中経済戦争は再燃し深刻な対立を生むはずだ。

 まず、日本の経済は最悪の場面にあることを認めるところからだ。アベノミクスは成功しているどころではないのだ。これから、借金を返す厳しい健全経済の道を歩まなければならない。

 その第一は食糧の自給である。衰退をしている第一次産業に力を入れることだ。身体を動かして働くことで、ものを生産するという、最も当たり前の基礎に立ち返ることだ。ものの生産がきちっと出来る国作りに転換しなければならない。

 良いものを合理的に作り出すことが出来れば、ものは売れる。その当たり前の考え方まで戻らなければならない。カジノや遊園地のようなサービス産業はあくまで、実質的な生産が社会の背景に存在したものでなければならない。

 衣食住が自国の経済でまかなえると言うことが基本である。この基礎を失った国では、これからの経済戦争の時代を乗り切ることは出来ない。それには衣食住に関しては、国際競争とは別に考えなければならないと言うことだ。日本の国土で当たり前に作る食料を、再生産できる価格で流通すればいいだけのことだ。

 日本という国土でお米を生産するコストは、再生産できる価格が補償されなければならない。以前は米価というものはそうして決められていた。米価をそうして決めることが、工業製品の輸出の足かせになるとしても、やむえないことなのだ。

 第一次産業でも生産の合理性に向けて努力はしなければならない。その意味で、大規模農業や、機械化も必要ではある。しかし、一次産業は土地の条件や水の条件で生産コストは違ってくる。大規模化できない農地が日本には大量にある。こうした一次産業を切り捨てるのではなく、どうして日本の経済の中に組み込めるかである。

 それは自給的農業だと思う。条件不利地域を自給的農業地域として切り分けることだ。農業をしながらも、テレワーク出来る社会を作り出すことではないだろうか。外国と競争して出し抜く国ではなく、自分の国の安定を求めて行く国である。

 日本は自給的国家として考えれば、これほど恵まれた自然豊かな国はない。水が豊富にある。式の温暖な気候に恵まれている。3000万人の人間が自給的循環の中で暮らした経験のある世界唯一の国である。げんだいであれば、6000万人の人間が普通に暮らすのであれば自給可能な国土がある。

 人口は必ず、6000万人まで減少する。6000万人で調和できる国作りを目指すことが日本の方角ではないだろうか。その6000万の自給国家は一日1時間食料生産に当てれば良い国である。後の時間は好きな仕事を行えばいい。

 テレワークが進めば、日本のどこに居ても、例えば石垣島に居たとしても生活可能になるはずだ。先日農の会の定例会が、集まることができないと言うことで、ZOONで話し合いを持つ予行演習をした。初めての私でも何とか出来た。

 移動時間を食糧自給に当てることが出来れば、それだけで食料生産が達成できる。日本の国土はそれほど恵まれたものなのだ。しかも、それは大型機械農業が出来ない、中山間地の小さな農地が適しているのだ。
 
 医療や教育や物流が現在の離島や中山間地の課題であるが、それもテレワークを充実させていけば、解決不可能なことではない。しかし、そこまでの道は簡単ではない。大きな方向をそこに定めて、後はすぐの目標、10年ぐらいの中期目標と分ける必要がある。

 たぶんそうした方角への変更の一番の課題は、人間が競争心を捨てきれないことにあるのではないだろうか。金儲けが何が悪いのだと叫ぶような人がもてはやされ、競争に勝つことが人生の目的だと考えるような性根である。

 そうした思想が実はくずれはじめていることを多くの人は感じ始めては居る。感じては居るが、自分の現実になると、不安の方が大きくなり、アベ政権のような既得権政権にしがみつきたくなるのだろう。問題の一番はここにある。

 


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