2地域居住をしてみて,これからのこと
新しく絵を描かせて貰った場所。牧草地の先にある茂みが面白い。ここをデッサンした。
描きかけの写真,中央がくぼんでいるところが面白いのだがその感じが描けない。
2地域居住を始めて、1年と2ヶ月が過ぎた。今のところ、2地域居住は良いことばかりである。残りの時間を有効に使えそうで良い選択をしたものだと思う。小田原の暮らしと、石垣島での暮らしのけじめがいい。
石垣島では絵を描く。小田原では農作業である。このけじめが明確につくようになった。石垣島にいると、ともかく絵が描きたくなるので、絵を描いている。絵を描くというのは他にやることがないと言うことが条件かもしれない。絵を描くことは楽しいことであるはずなのだが、苦しいことでもある。
思うようには描けないからである。ジーと何時間も座って,ああしよう、こうしよう、ぐずぐずしているから身体にも負担がある。できたという感じにも簡単になるのだが、どうせ又ダメなのだろうという、絶望感が隠れている。絵を描くという達成感のない世界が苦しい。
だから、他にやらなければならないことがあれば、絵を描くことは紛れてしまう。私の場合、描きたくならない限り描いてもしょうがないと考えているので、いつでも描きたくなるのを待っている状態。すると、何ヶ月も描きたくなることが無いまま過ぎることもあった。
それが、石垣に居る間はほぼ毎日絵を描いている。午前中は少なくとも絵を描いている。フランスに居た頃に近いくらい描いている。描いたから絵がよくなるというものではないことは分かっている。やはり、描ける終わりが見えてきたと言うことかもしれない。
具体的に絵を描くという日時に目標がある。今なら、1月17日まで石垣で絵を描くということになる。この期間に描いた絵の中から、一枚を選んで語る会に絵を持って行く。そう思うと自然に絵が描きたくなる。描く意識もはっきりとしてくる。
上手いことに水彩人の展覧会等は年間計画の中に収まっている。この中で、四回絵を語る会がある。ここに絵を持って行くことがとても大切なことになっている。絵は一人でやっていると,とんでもないことになる。私には人と並べる必要がある。
年間スケジュールとして、
1月 小田原 1月17日~27日 (①11日間)
4月 小田原 4月24日~6月8日 (②45日間)
7月 小田原 7月4日~16日 (③13日間)
9月 小田原 9月17日~10月20日 (④32日間)
11月 小田原 11月14日~12月14日 (⑤31日間)
1月 小田原 1月17日~27日 (①11日間)
4月 小田原 4月24日~6月8日 (②45日間)
7月 小田原 7月4日~16日 (③13日間)
9月 小田原 9月17日~10月20日 (④32日間)
11月 小田原 11月14日~12月14日 (⑤31日間)
小田原132日。石垣233日と言う計算になる。122日が3分の1である。10日減らせると、ちょうど3分の一になるのだが、これが、小田原に行った時は何かしらあって空いている日がない状態になる。もう減らせないギリギリの線である。味噌造りを止めると、1月の小田原がなくなり、ちょうど加減が良い。もう一回挑戦してみて、寒さに耐えられなかったら、止めることにする。
年間の内3分の1くらいは小田原に出かけるという感じである。今のところ、このくらいがちょうど良い。やはり、寒い間は余り小田原に行きたくない。石垣で田植えの頃は石垣で絵が描きたい。その結果こんな具合になった。
小田原の農作業として、田植え、稲刈り、大豆播種、収穫。タマネギ植え付け,草取り、収穫。小麦播種、草取り、収穫。お茶摘み、整枝作業。ため池の管理。そして味噌造り。こんな農作業がこのスケジュール中にうまく収まっている。
田んぼは苗作りから田植えまでと、稲刈りである。コロガシは一回。草取りも一回だけしか、参加していない。これで何とかイネ作りに参加できるのは,欠ノ上田んぼの仲間が居るからである。小田原に居る間は精一杯田んぼをやらせて貰うことができた。
タマネギも、小麦も,大豆も、みんなのおかげで加えてもらえている。私も、いくらかは役に立つのだろう。みんなは一人のために、一人はみんなのために。歳をとってくると、元気で何でもひとりで全部やれたときには見えなかったことが見えてくる。助けられている。
助けられているからこそ、小田原にいるときにはやれることはできる限りやらせてもらいたい思う。小田原にいるときは農作業をやる以外ないのだから、自然そういう暮らしになる。この辺の気持の切り替えが良い。小田原の農業生活は身体を整える貯金である。
毎日1万歩以上。2万歩の日も10日はあった。身体をかなり使う。身体を精一杯動かせるのは,農作業のおかげである。とことん疲れたというほど身体を動かすことも大切だと考えている。これがいつまでできるかである。
小田原でやらして貰っている農作業はみんながやっているものに加えて貰っているという状態である。農の会がなければこういう都合の良いことはできないだろう。みんなと同じくらい働ける内はやらせてもらいたいと思う。予定ではあと4年である。大切にしたいと思う。
と言うことは2地域居住はあと4年と言うことになる。いつまでもと言う思いは夢である。4年経ってみなければ分からないが、4年やれればありがたいとしなければならない。その後は石垣生活になるのだろうが。その先のことは今からでは分からない。すべては身体の状態による。
2地域居住を選択したことは、歳をとっての暮らしに活力が湧いた。これから絵が描けそうな気持でいる。行き来することが大変ではないですかと言われることがあるが、半日で場所が変わるぐらいが、気持の切り替えになっている。