マラソン札幌開催で何が問題なのか。
オリンピックはスポーツ大会である。世界中の運動選手が集まって競技を行う場だ。東京の夏が暑すぎてマラソンができない。当たり前すぎることだ。今頃になって騒いでいることがそもそもおかしい。選手のことが優先であれば、もめていないで、一日でも早く結論を出すべきだろう。
世界中の青空が東京に集まりました。前回の東京オリンピックでは、10月10日の空模様まで、みんなが心配したものだ。世界中の暑さが東京に集まりましたでは、選手がかわいそうだ。
東京の8月がスポーツに適したよい季節だと主張したのは東京オリンピック誘致委員会である。嘘をついた付けが、いよいよになって問題になっているに過ぎない。あの「お・も・て・な・し」は選手のためでは無かったようだ。経済効果の方のおもてなしだったようだ。
小池都知事の態度は選手のベストコンディションを考えていないということだろう。誰ひとり、東京で世界記録が出るとは考えないだろう。暑いのは分かっていながら、スポーツのベストシーズンとして発言したのは、虚偽発言。原発はすべてがコントロールされていると強弁したアベ発言も虚偽発言。斯うしてオリンピックが東京に決まったのだ。
オリンピックというスポーツの世界大会を行う理由は、主催者の利己的野心が膨らんだために過ぎない。経済効果やら、国威発揚やら、スポーツとは別の要因で、オリンピックがいじくり回されている。一度選手個人の問題に立ち戻るべきだろう。そうすれば、IOCも夏開催を求めるはずがない。
ほかの競技にしてもやむ得ず暑い中でやることになる。東京の夏の暑さは石垣島どころで無い。東京の夏の暑さは都市熱で、世界でも暑さでは際だった街のひとつにちがいない。過去一番熱いオリンピックになるだろう事は、誰にもわかっていたことだ。
IOCをふくめて、世界中がスポーツを金儲けの手段にしている。選手も職業化している。プロスポーツ選手がオリンピックに出るようになった。マラソンの日本記録には1億円が出る。馬にニンジンでは無いのだ。前回の東京オリンピックではプロ選手は出ることができなかったのだ。50年前の世界には崇高な理想主義を持った時代があったのだ。
いまや世界は拝金主義に様変わりだ。弱くたっていいじゃ無いかとは誰も言えない。東京オリンピックの時に、フランス人がスポーツの強い人は頭が悪いのでは無いかと言って、問題になったことがあった。当時のフランスはスポーツが弱かった。負け惜しみのように聞こえた。
建前を捨てた拝金時代では、コンピューターゲームにスポーツであるかのような名前を付けている。コンピューターゲームをオリンピック種目に取り入れようという動きすらある。市場が極端に大きいからである。
Eスポーツがスポーツであるとは到底思えない。スポーツの言葉を禁止すべきだ。Eゲームでいいだろう。スポーツは健全な精神と身体のために行うものだ。Eゲームなど不健全極まりない。指先の反射神経を争うようなものをスポーツというのであれば、今にパチンコもスポーツということになりかねない。これは日本のコクギのようなもので、参加国が無いか。
人間はどこかで歯止めをかけなければダメだ。現代社会の拝金主義は健全な精神とはちがう。親が、子供に頑張ってパチンコをやりなさい。いやならEゲームをやらせますよ。というようなことになって良いわけが無い。お金がすべてでは無いということを、オリンピックでは主張すべきだ。
共産圏と資本主義圏のイデオロギー競争があった。アマチア選手だけでは、ソビエトや東ドイツの国家育成選手には勝てないということになった。資本主義が優れている事を証明しようとして、プロ選手のオリンピック参加ということになった。
今思えば、共産圏の選手の多くが薬を使ってまで、国威発揚に利用されていたのだ。これではお金と薬の戦いのようなものでは無いか。強くなれば、お金になるということを目標にして何が悪いのだ。その方が強くなる。強くなるためならば薬の力だって借りる。この異常さが度を超したのだ。
何のためのスポーツなのかともう一度考え直してみる必要がある。ラグビーのワールドカップの日本チームは素晴らしかった。一様に選手が日本のために戦ったと口にした。韓国の国籍の選手が日本チームの一員として、素晴らしかった。確かに、自分のためだけであれば、あれほどの力は出ない。それほどに見事であった。
日本のための言葉の背景にあるものが、ラグビーの選手の所属国の認定制度にあるような気がする。日本国籍が無くとも以下の条件で日本代表になり得る。
出生地が日本、両親または祖父母のうち1人が日本出身、日本に3年以上継続して居住している(2020年12月31日からは、5年以上の条件に変わる)日本国籍を取得後、7人制(セブンズ)日本代表としてセブンズワールドシリーズに4戦以上出場、日本への累積10年の居住いずれかの条件で、日本代表になれる。
こうした条件の中日本人では無い多くの選手が日本のために頑張ったと発言していた。日本人として嬉しいことではあるが、国というものにそれほどこだわらなくともいいのでは無いかという気もする。この背景にはラグビーの実業団チームの存続問題もあるきがする。
オリンピックを提案したクーベルタンが考えたアマチアリズムはいとも簡単に消えた。古代ローマのオリンピックも同じ運命だったというから、人間のどうしようもない姿なのかもしれない。これがどうしようも無いことだと気づかなくなったところに問題がある。
東京都の小池知事がマラソンを東京でやりたいとIOCにいちゃもんをつけているが、見苦しいことである。東京がすべてを独占しなければならない理由はどこにもない。札幌の人にオリンピックのおすそ分けを喜んでもらえばいいではないか。
なんでも東京で独占したいなどという気持ちはあさましいだけだ。この際、暑さが気になる競技は涼しい場所にするのは当たり前すぎることだ。誘致の時についた嘘が問題にされたら恥ずかしいだろう。札幌でまずいという選手も、見る人も世界中で首都圏以外の人には居ない。
マラソンと競歩は当然のことだが、トライアスロンも同様ではないだろうか。東京の汚い海で泳ぐという点でも問題ありだ。この際トライアスロンと自転車のロード競技は震災復興を記念して岩手の陸前高田開催というのはどうだろうか。
本来であれば、東京都から申し出てしかるべき案件だろう。自転車競技の相模原の予定の道路が豪雨で崩壊したという。直前になってまたこういうことが起きれば、厄介なことになりかねない。
そもそもドーハの世界陸上が問題だった。ドーハには申し訳ないが、夏にスポーツ大会を開催できる条件の場所では無い。そうか一年中夏なのか。それでもドーハは豊かな国だから、世界陸上の開催ができたということなのだろう。室内世界陸上大会ならば良かった。
ドーハならば一周一キロの冷房付きの室内競技場が作れるかもしれない。マラソンは42,195周である。普通の競技場の観客席の外側の高いところに、一キロの周回コースをつくる。映像を旨く使えば、マラソンの2時間が目の前で楽しめる。
東京都は経済の波及効果ばかりで、選手のことは考えていないということに見られてしまう。ここは本来の趣旨に立ち戻り、選手にはよりよい環境で力を発揮して貰うことだ。