台北のアジア的混沌と現代美術状況

   


 台北の西門というところである。暗くなってきた6時ごろの様子。街には吉野家も、マツモトキヨシも、無印良品も、ユニクロもある。まるで渋谷のようだとガイドブックにはあったが、渋谷の夜は知らないので、比較できないが。こういう都会の街並みの中に、突然古い台北が現れるとこが違うだろう。
 台湾は国連に加盟していないし、日本とも正式な国交はない。国として承認もしていない。とんでもない間違いである。日本は中国と仲良くしたくて、台湾を裏切ったのである。その結果がどうなったのか、香港の状態をみれば、台湾が中国になるのは、よいことではない。台湾は台湾として独立すべきだ。日本も台湾を大切にすべきだと思う。


 三軒茶屋の文化マーケットが隣り合わせにある。アジア的混沌。この複雑なエネルギーに圧倒される。日本にはこういうどん底から立ち上がってくるような力がなくなった。全体としては、よくわからない言葉だが、レトロモダン。あるいはクラシカルレトロ。こうガイドブックには書いてあった。

 確かに古い町並みが、突如近代都市の中に再現されている。そんな場所を時々見かける。赤煉瓦の赤瓦。横浜のレンガ倉庫のような感じ。日本と似ているのは日本統治時代ということなのだろう。中国とはだいぶ違う感じだ。この違い方が、日本人にはしっくりくるのかもしれない。

 

 台北の10月は過ごしやすい気候だ。熱くもなく、寒くもなく。幸い雨にも降られなかった。昨日は現代の美術状況を見にいった。市立美術館と寶藏巖国際芸術村。まず、朝から市立美術館にゆく。市立美術館に行くとその国の文化の様子がつかめる。例えば上海で行けば、今の中国らしい作品しかない。愛知の美術館に行けば作品の展示禁止である。

 台湾は自由な文化の国だということが確認できた。企画展がなんと池田亮司個展。日本の現代美術の代表的作家である。40元払ってみる。何故台北でと思うと、複雑な気分だがこういう機会もないと思うので見る。素粒子や中性子の動きを視覚化したらしい作品。
 目が悪い私にはダメな作品。入口のへやの突然の強い光で、そのあと部屋は出るまでよく目がくらんで見えなかった。そういう作戦だったか。これなら作品のことを見せないで済む。部屋に入る前に、強光線注意の表示は欲しい。例のあいちトリエンナーレ展にも過去出ている人である。現代美術は要注意である。


黨若洪(Tang Jo-Hurg)作品 この照明はすごい。絵にだけ光を当てている。四角い光源。

 次に二階に行くとなんと、草間彌生・田中敦子・辰野登恵子の吉原 治良からの系譜展。そのほか日本の女流の抽象的な作品が数名。台湾の作家も混ざっている。不思議な感触である。辰野登恵子さんがうまいと思ったが、それでどうなのという感じだった。切実には伝わるものがない。さらにほかの二人については何が良いのかわからなかった。絵を描いて居るという意味では辰野さんの絵に興味はある。しかしデザイン以上のものはあるのだろうか。
 たぶんわたくしの眼が見たことではなく、他人の眼で書いているのだろう。絵が人に伝わるものという、間違った認識なのではないか。自分を描く、抽象的作品ということになると、どうなるのだろう。心象画ということになるのか。心象はむしろ具象化か。何故、今時日本では消えようとしている抽象画を特集しているのだろうか。
 台湾の人は日本を尊重している。しかし、日本の現状の絵画はそれほどのものではない。むしろ、台湾の文化レベルの方が期待できる。大いに自信を持つべきだろう。

 地下に行くと台湾の作家の黨若洪さんという人の個展。この人は凄い絵だ。ひたすら絵を描いている。私絵画そのものである。黨若洪さんの作品を見ているうちに、抽象表現というものがさらにわからなくなる。絵はやはり、伝える機能を終えている。



 芸術制作するということは、見ていること、聞いていること、感じていること、それらを作品に表すことであると、池田氏は書いて居た。その通りである。作品は池田氏の問題なのだ。自分が絵を描くことで自分の感覚を確認することが絵を描くこと。池田氏の作品を見て、伝わってくるものはなかった。

 黨若洪さんの作品からは、制作の苦しみのようなものがひしひしと伝わる。この人は描きたいことが描けないのだ。描けないということを画面にぶつけている。自分が見ているということが、画面に表現できないために、無限に描かねばならない。年代的にみると初期には描けていたような、模倣の時代がある。そして、自分の絵を描き始めて、描き切れない思いがあふれる。それが作品というものだ。しかし、本物の作品は描けないものを、描いたもので十分に暗示している。
 この辺で他人ごとではなくなって、お前はどうなんだということになる。やるべきことに向っているのか。黨若洪さんは絵具が載っていない。画面にくっついていない。塗りが悪い。いろいろ悪いのだが、それを超えて力があふれている。ああ日本的弱さが私にもある。細かなどうでもいいことに拘泥している。



 午後には寶藏巖国際芸術村にゆく。アーチスト村のようなもの。世界から芸術の共同体を求めて人が集まっている。日本人も住んでいると写真がある。道教お寺の作られた崖の周辺に張り付くように、小さな家が上に上に重なっている。一番上のテラスに椅子があったので、座って自分の制作のことを考えていた。

 いつの間にか寶藏巖国際芸術村で、若いころ制作をしていた幻想の中に漂っていた。夕暮れの陽射しが、オレンジ色の木漏れ日のように差し込んでくる。前には淡水河が静かに流れてゆく。すっかいあたりの空気の中に溶け込んでしまった。
 小さな穴倉のような部屋の中で、達磨大師のようにただただ絵を描いているわたし。金沢の馬小屋に寝泊まりしていたころのことが幻想の中で一体化していた。あの空気とどこか似ている台湾。制作に苦悩していた。自分の絵画を探していた。
 どこから来て、どこへ行くのか。20代のころの自分に戻っていた。些末なことはもうどうでもいいだろうと若い私が言っている。

 ざわつきに気づくと、何やら普通に中国語で話しかける人がいる。私を台湾人だと思っているようだ。数人の人が私を写真で写していたのだ。何だろうと思うが、ずーと写真を撮っていたらしい。私がなんと写真のモデルになっていたようだ。
 ここには、そういう学校のようなものがあるらしいから、そこの人なのかもしれない。絵描きの成れの果て題材と思われていたのだろうか。わからないが、今更撮影の許可を得ているらしい。もうずいぶんとっていたではないか。今更、どうでもいいか。

 
 この日もよく歩いた。フィットビットによると21、434歩である。台湾に来て毎日2万歩歩いている。別段足がどうという感じはない。ありがたいことに70歳でもまだまだ歩ける。昔、パリを毎日やたら歩いていた。たぶん3万歩ぐらい歩いたのだろう。歩くことでパリを感じた。歩くことでその場所が見えてくる。今回台湾を歩き回って、台湾のことが自分の中に少しだけ入ってきた。
 


 

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