全国初、石垣島住民投票求める会 自治条例解釈、司法判断へ
【那覇】石垣市住民投票を求める会の金城龍太郎代表らが19日、石垣市を相手に、平得大俣地域の陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票実施義務の履行を求める義務付け訴訟と仮の義務付けの申し立てを那覇地裁に提起した。住民投票の請求・発議を規定する石垣市自治基本条例第28条の解釈は、司法の判断に委ねられることになった。--八重山毎日新聞
石垣市でついに行政訴訟である。これは全国初めてのことと新聞に出ていた。今回の問題の出発点は不十分な住民投票に関する条例にある。そのことは行政も認めているところである。住民投票に関して、矛盾した2つの条文が存在している。その曖昧な条例の下に住民投票の請求署名を行い、3分の1の市民が住民投票を求めるという結果になった。
民主主義というものを考えてみれば、一番尊重されなければならないのは住民の権利である。行政が、住民の権利を重視すれば、当然住民投票はすでに行われていなければならない。ところが、市長と議会多数派は自衛隊を誘致したいと考えているので、住民の意思を無視して、都合の良い条例の解釈をしているに過ぎない。
本来であれば、住民投票の署名を行う前に、行政は、議会事務局において、住民に対して充分に矛盾した条例を説明して、どういう結果になれば住民投票が行われるのかを、説明する義務があったのだ。
ところが、不十分な条例を説明をすることなく、3分の1の署名の結果が完全に無視される結果になった。これでは例えば2分の1以上の署名があるとしても、議会の判断で住民投票は不可能という事になる。
この条例の不備を、議会多数派も市長も、ずる賢く運用したことになった。その結果住民の3分の1もの請求があっても、住民投票が行われないという、前代未聞の結果になっている。これはさすがに日本中から、恥ずかしいこととして見られているだろう。条例云々以前に、3分の1の住民請求があっても、住民投票をしないという事自体が、不自然なことである。
これは住民自治の大原則をないがしろにしたという事である。ないがしろにした理由は、国防は国の専権事項だという、国の意思を市長や議会が忖度したという事であろう。市長と石垣市議会は、国の側の立場に立ち、住民の権利を売り渡した事になっている。この事実は誰が考えても許されていいことではない。
考えてみれば、市長側には住民投票をしない理由がある。3分の1の住民が名前を出して、住民投票を請求した事態は、住民投票を行えば、明らかに自衛隊基地反対になるという事が分かったからなのだ。自由民投票を行えば、自衛隊の建設がおかしなことになる。
尖閣諸島問題が一番の要因だと思われる。市長や保守系議員及び公明党は、尖閣諸島に中国が攻めてくるという心配をしているのだろう。国境に位置する島として当然の心配ともいえる。住民の中にもそうした心配を口にする人は多い。果たして中国は尖閣を武力攻撃するのであろうか。
もし、そうした心配があるとして、石垣市長は中国に対してなにか行動をしたことがあるのだろうか。中国と平和のための努力を行ったことがあるのだろうか。まず、憲法で示されているように、国際紛争は平和的手段で解決を図る義務がある。市長はすぐにでも、武力攻撃があると思うならば、住民の為に平和的努力を行う義務がある。
ところが、全く平和的努力もせず、軍事的備えをするというのでは紛争の緊張を高めるだけであろう。石垣にミサイル基地が出来るという事は中国にしてみれば、敵対したという事になる。韓国と中国の関係が悪化しているのも、ミサイル基地の建設に発している。
石原元都知事が、尖閣国有化を主張して、中国との対立を際立たせた。その理由は危機感を煽り、日本の再軍備を進めようという意思であろう。軍備のない国では安心できないという切羽詰まった考えであろう。
韓国の竹島と同じである。韓国軍が常駐して、時々韓国の国会議員が上陸する。あれは、日本が本当に攻めてくると考えてのことではない。国内の世論操作である。領土問題を緊張化させることで、国防意識を高める政策である。
石垣市にも、市長をはじめ中国が今にも攻めてくると考えている人はいる。そういう人にしてみれば、自衛隊基地が出来ることは、なんとなく安全感があるのだろう。次に出てくるのは、小さなミサイル基地ぐらいでは安心が出来ないという事に決まっている。核武装までしなければ、尖閣諸島が守れないという事に繋がる。それが、石原慎太郎をはじめとする、日本の再軍備派のの本当の目的である。
ところが、一方になまじの基地を作ることは石垣島自体の安全を脅かすのではないかという意見もある。意見は確かに2分しているのであろう。中国の武力にはすでに日本一国では対抗できない。当然アメリカの核の傘に入るという事になる。これが果たして、日本の安全を高めるのだろうか。
むしろ、アメリカの戦争に日本が巻き込まれるという事にならないだろうか。イラクとサウジアラビアの対立は危険水域に達している。こんな戦争すら、日本はある意味石油を通して、関係がある。もう軍事力で解決しようとすれば、世界大戦もそう遠くない気がする。
そうした世界情勢を踏まえたうえで、意見が2分しているのであれば、住民の考えを確かめるというのは、当然のことだと思う。そして、住民投票の結果を重んずることではないだろうか。これが出来ないのであれば、民主主義国家とは言えない。国防は国民一人一人に支えられて初めて成り立つものだ。
これから長い裁判が予想される。もう市長も議会も後に引けなくなっている。これは不幸なことだ。いくつか手立てはある。議会を解散して、選挙によってもう一度是非を問う。あるいは市長が止めて、再度立候補し、選挙を行う。もしこのまま、裁判によって、判決まで進む事になれば、どういう判決が出るにしても気持ちはすっきりはしない。
前回の市議会議員選挙ではあいまいな態度だったのが公明党である。今度は公明党が基地推進と明確にいうならそれもいいだろう。明確にして市議会議員選挙を行いその結論に従うという事もあると思う。
石垣島議会ではもう一つ動きがあった。NHKの番組で石垣島の自衛隊基地が取り上げられた。その時に、自衛隊基地が水源地域に作られるというテロップが流れたらしい。私はその番組を見ていないので、性格ではない。
そのダムは農業用ダムであるので、石垣議会が放送倫理協会に審議を申し出た。水道用ダムと誤解する表現があったというのである。間違えがあるとすれば問題であるが、農業用ダムの水源地に自衛隊基地が出来るのは間違いのないことだ。
私には水道水と同じくらい、田んぼや畑や家畜に与える水は重要である。何故、水道水でなければ構わないのだろうか。農地が汚染されることがあっても構わないというのであろうか。農業用ダムであれ、水源に作ることが許されないのは当たり前のことだ。