人生の時間軸の取り方

   

今描いている絵。様々である。ブログを書きながら、絵を見ている。
 現代社会はせいぜい1月先のことしか見ていない。実に刹那的である。それは資本主義経済の競争が、かなり煮詰まってきていて、来年のことよりも今現在のことに追われるようになったからだと思う。要するにその日暮らしになった。

 当然政治も、日本の将来のことなどほとんど考えていない。年金100年安心構想を見てみればよく分かる。このままの枠組みであれば、100年先の年金は確実に崩壊している。生きていてほら見たことかと言いたいぐらい確かなことである。それでも枠組み自体を考えることができない。

 アベ氏お得意の憲法改定だって、日本の未来構想が無いままという、不思議な憲法論議なのだ。憲法はどう考えてみても、日本国の骨格である。日本人が理想とする社会を作り上げるためのものだ。それなのに、100年先の日本社会をどう考えるかには触れようともしない。憲法を変えるためには触れない方が、得策と考えているのだろう。この辺の姑息さが時代を目先のものにさらにする。

 しかし、人間の一生はその日暮らしではダメだ。生まれて、精一杯生きて、死んで行く。これをどのような計画を立てるかは、全く人ごとでは無い。十二分に生きるためには、生涯の目標は必要だろう。たとえいつ死ぬかは分からないとしても。

 社会が目先ばかりで動いて行くので、自分の生涯の時間軸を見失いがちでは無かろうか。人のことではなく、自戒である。例えば原発事故については、私の中では大きくなるばかりである。この先がどうにもならない地獄である事が、気になって仕方が無い。

 明日の利益を考える人にしてみれば、事故があったことは、韓国の輸入制限くらいにしか現状ではないのだろう。世界の経済競争が過激になればなるほど、危ない原発が増えるだけだ。原爆の製造は文句が言えても、原発の方は文句も言えない。コストを安く上げようという、安全対策の欠落した原発は無くならない。

 昨年、北海道で長期停電があった。想定外だとまた原発事故同様の弁解があった。そして、今年は千葉の長期停電である。これまた、状況の説明だけである。台風が年々強くなり、災害が大規模化するという当たり前の予測すら立てられないほど、目先に追われているのだ。
 この先10年の温暖化を考えれば、自然災害の多発は今後より深刻になる。この予測を公表して、それに対する対応に税金をかけるかどうか、国民に問うべきだ。軍事予算どころでは無い、見えている明日の危険だと私は考えている。

 テレビの政治評論としては、今日明日のことしか視聴率がとれない。原発事故もテレビ的にはいつの間にか風化させた。報道も放置された家畜のことを忘れたようだ。政府はあそこに残されて、立ち入り禁止区域で生き続けている牛がいる事を見ようともしない。これほど放射性汚染の貴重なデーターは無いはずである。しかし、これを調べれて何か出たらいけないので、全頭淘汰だけを掲げて、見ないことにしている。ひどすぎる仕打ちだ。

 自分がどう生きるかと言うことは、100年未来に基づき考えなければ、精一杯生きることができない。先日、10年先の日本の予測をこのブログに書いた。私にはその辺までしか無いからである。若い人であれば、少なくとも50年先の日本がどうなるかを考えなければ、今をどう生きるかを考えることはできない。今日一日をどう生きるかは、将来から考えるほうがいい。

 社会が目先だけになっているとしても、一人の人間が生きると言う実感で明日のことを考えなければならない。一生をかけるべきものが見えてこないだろう。流されて漂っていても、時間は過ぎて行く。もがいてのたうち回っているのでは、未来は見えない。立ち止まり、今日一日を、10年先から考えてみる。

 七十歳の先が短い私であれば、ますますそのことが切実に明確になる。しかし、団塊の世代の私は幸運に生きてしまい、次世代に悲惨な未来を残したようだ。それは戦後の復興期と、世界情勢の結果である。それに手が打てなかったのは我々世代の、失敗である。

 資本主義経済の予測された結果でもある。上昇期はまだ良いが、成熟局面では行き詰まる。20代には日本はしばらくは上昇局面と思っていた。四十になる頃、自給自足に入った。自給自足を試してみたくなった。それしか絵を描くにはないように思えた。それから30年が経過した。

 二十歳の頃に思い描いた50年はほぼ予想したものであった。おかげで絵を描き続けることができた。跡の残り時間も絵は描けそうである。絵が描ければそれでいいと言うのが、生きる最低条件のようなものであった。あとはどういう絵になるかの問題であった。

 自分の生命を輝かせて生きない限り、自分の絵は描けないと言うことになる。繪が道しるべである。絵を見れば自分が精一杯生きているかは分かる程度にはなっている。これが、ここ5年のそれまでの絵を払拭しようとした成果だと思う。

 いわゆる絵作りをして繪を作り上げていれば、自分の生きると言うことと繪が距離のあるものになる。一見繪は良くできているように見える方向に作り上げることが、自分と言う人間をごまかして行くことになる。そこに作り上げられたものは自分とは言えないようなものになっている可能性が高い。

 今日、明日に繪の結果を出そうと言うような時間軸である事と、今をひたすらに生きると言うことは、違うようだ。ひたすらに迂回することも、必要になるのが、一生という時間軸だと思う。若い間は絵を描くと言うことは、良い繪と見えたものをまねて、自分なりに作り直す贋作のようなものだ。そこから次に行けるかが、本当の課題なのだとおもっている。

 60年の時間、絵から自分以外のものを取り除くために描いてきたようなものだ。もちろんそれすら危ういものである。いかに要領で描こうとしてきたかで、がっかりする。そんなことは自分に至るためには何の意味も無いと言うことに気づくために、時間がかかったと言うことだ。危うく人生を無駄にしかねない危険なことだ。

 四十から始めた自給自足の暮らしに入ったおかげで、そのことにやっと気づいた。それから30年かけて、やっと絵だけ描くことができるようになった。七十歳の幸運である。まだ繪を集中してかける体力の状態である。このまま、10年描かせて貰えればと願っている。

 生涯という時間軸で絵は描く必要がある。七十歳で学習した繪という観念からは抜け出た。抜け出たので寄りかかるものは無くなった。いよいよ、ここからである。世界を見ている眼の能力次第である。それが私の100年人生の時間軸である。

 - 水彩画