与那国台湾往来記 「国境」にくらす人々 松田良孝著

   



 与那国台湾往来記 「国境」にくらす人々 松田良孝著この本を読むと台湾のことも少し見えてくるし、また八重山の人のこともいくら分かってくる。国境に位置する島の関係というものが見えてくる。この本を石垣島で読むと少し違うような気がした。

  この松田良孝氏は元八重山毎日の記者である。北海道大学を出て、北海道の新聞社にいた。その後、八重山毎日の記者になったとある。この本を書いていたときは八重山毎日の記者としてである。調査報道と言うことだと思う。台湾のことを考えることが、今の日本にとって重要なことだと私も思っている。

 台湾はお隣の国である。日本とは正式な国交は無い。しかし、日本と最も親しい近隣国である。この状況自体をもう少し日本人は考えてみる必要がある。台湾は独立国として、国連に加盟すべきだと考えている。当然日本は国交を持つべきだ。

 そう思うのは台湾が国家からだ。独立すべき歴史的理由もある。独立国として、存在することは日本にとっても重要なことだと思う。中国を重要視した田中内閣は台湾を切り捨てたのだ。しかし、保守派の中にも台湾派の議員はいて、関係が維持されてきた。

 日本は他の隣国と極めて関係が難しいことになっている。韓国とは敵対するほど、感情的にこじれている。北朝鮮といえば、日本人を拉致を曖昧に終わらせていながら、日本の植民地時代を考えればそのくらい当然だというような態度だ。常軌を逸しているとしか思えない。

 一方で似たような関係を歩みながら、何故、台湾とは仲が良いのかを考えている。日本人は外から自分を見る眼が無い。何故日本人の視野が自分側からだけになったのかも考えなければならない。やはりその理由は、台湾と長い交流のある八重山から考えて見ることは大切だろうと思う。

 明治時代の日本の統治が良かったなどと、単純に主張する人が居るが、その程度のことではないのだ。帝国主義日本を賛美するが余り、台湾側の要因に想いが回らない。日本の植民地政策より、台湾側にある様々な要因と考えている。台湾人の歴史や人的資質の問題でもある気がしている。

 台湾の国の事情はまだ私には分からないことばかりで、現状ではそういう問題意識があると言う範囲である。そのつもりでこの本も読んだ。台湾には本来台湾島に住んでいた原住民がいた。そこに中国人が入った。しかし、中国の態度は琉球王朝に対するものと同じようなもので、従えるという範囲で、積極的な支配や収奪は行わない。

 台湾は、15,6世紀以来福建省からの移民や流民が細く長く続いてきた。日本からは倭寇などが台湾を拠点にもしていた。常に争いを続けているような島であるが、誰も積極的な支配はされなかった。17世紀にはオランダ人が植民地にした。アジア進出の拠点にしようとしたと思われる。

 台湾にはオランダ植民地時代があり、その後中国によって、オランダが駆逐される。その理由も中国国内の覇権争いの余波である。台湾を拠点に、反撃をしようとした。その戦いは結局成功はしなかった。

 中国はシナ大陸からの移民と原住民を対立させる支配形式をとったらしい。中国人が台湾に移住しないように考えたらしい。石垣でもそうなのだが、権力は支配すると言うより、人を国家建設の材料と見る。女性の移住は認めなかったという。

 とうぜん、台湾の人と中国からの進出民の混血が起こり、台湾の中国人という、現在の台湾人の形が生まれる。そして、明治帝国日本が日清戦争に勝利した結果、台湾を中国から日本の植民地として、割譲する。日本にとって初めての植民地経験である。

 台湾にとっても、始めて積極的な支配を受けるという経験になる。それまでの、オランダや中国は領有権はもつが、台湾を経営開発しようという意思はなかった。日本は明治の世界に遅れはとらないという文明開化を台湾も、北海道と同じような意識で開発を行う。

 台湾は開発が急速に進み、すぐに沖縄よりも開発の進んだ場所になる。沖縄にはまだビルの無い時代に台北には6階建てのエレベーターのあるデパートがあったという。そのために八重山からは明治期から、働きの場として台湾へ出稼ぎ、あるいは開拓ではいってゆく。漁師は捕った魚が台湾で売れるというので、漁民の進出も多い。

 この本では実際にそうして台湾に住んだ八重山人、あるいは。八重山に暮らした台湾人のひと、日本人と関わりのあった台湾の人から、直接聞き取りをして出来上がっている。そのどなたの話もとても興味深いものがある。

 この本を読んで、南方すおうに行ってみたくなった。行ってみたいだけであり、それ以上何かができるわけでも無いが、何か台湾の人にお礼を言いたい気持が生まれた。台湾の人の方が、よほど八重山を助けてくれた。本土の人は沖縄を捨て石にしか考えていない。

 今も、沖縄は地政学的に日本の防衛拠点である。防人になって貰う必要があるなどと、好き勝手なことを考える人が山ほどいる。台湾との交流史をしると、平和というものは人間の交流から生まれると言うことがよく分かる。

 石垣市はすおう市と姉妹都市である。仲良くなれば、けんかでは無く話し合いで解決することになるだろう。石垣には沢山の台湾の人が来てくれる。ポケトークで話をさせて貰った。まだ慣れないので、十分には使いこなせないが、それでも少し話が通じた。

 石垣牛が食べたいので、美味しいお店を教えてくださいと言うことだった。教えてあげたが、美味しく食べることができたであろうか。高いから、日本人が入れないラーメン屋はどうかと話したら、何故日本人が入れないのか不思議がっていた。理由は日本人は態度が悪いからだそうだと話してあげた。ポケトークも結構会話ができそうだ。

 台湾との民間交流が石垣では居ながらにしてできる。今度石垣に戻るときには、故宮博物館の話ぐらいできるようになりたい。



 - 石垣島