8月の石垣島はお祭りの楽しい空気に満たされる。

   


この写真は私の家のすぐ脇の駐車場。ボクシングジムの前である。

 石垣島のお盆はソーロンと呼ばれる。明るく賑やかである。こんな時に、やっぱり南国にいるんだと思う。山梨の、うら悲しいような盆おどりとは違う。あれはあれで懐かしいわけだが。盆おどりは、周囲が完全な闇で、わずかな明かりの中、ご先祖を迎える祭りであった。

 
右端の挨拶をされている方が、青年団長の方。

 アンガマと呼ばれるお面をかぶった2人が町を練り歩き、町のあちこちで珍問答を繰り広げる。来て貰いたい家はお願いすると来てくれるようだ。もちろん来ていただくとお願いできるのはそれなりの家であるのは当然のことだろう。



 ウキウキした空気につられて、ついて回る子供も居る。あんまーが引き留めるのに大騒ぎである。太鼓が打ちならされる。三線が併せて弾き鳴らされる。アンガマの奇矯な高い声が遠くまで聞こえる。

 エイサーは沖縄本島のものらしく余り石垣では行われない。明石という集落が本島からの移住者の集落で、石垣では唯一エイサーが盛んなところのようだ。石垣には各地からの移住者がいるから、お祭りも地域地域で少し違うのかもしれない。



 私の家はまさに、石垣島の字石垣で、役員の方のお話ではイシナギラには昔からのお祭りが残っていると話されていた。イシナギラとは石垣と言うことである。そして最後にはみやとり御嶽でトゥズミという集まりがある。祭りを盛り上げた若者達がねぎらわれる。

 

 ねぎらわれるという趣旨であるとは聞いたが。踊りとアンガマの珍問答の披露である。まさに祭りの主役の方集大成のような、踊りの披露であった。これは地域の公民館の舞台で行われた。地域の公民館は建て替えが企画されている。


 
 石垣島のお盆の行事いろいろ難しい言葉なので、まだ覚えることができない。地域を太鼓を叩きながら、踊り手とアンガマが廻って歩く。若いい人たちである。男性も女性のいでたちである。

 わかりにくい新聞の祭祀記事をまとめてみると。
 最大の祭祀(さいし)行事はお盆の中日の「ムシャーマ」という。旧盆で帰ってきた先祖の霊をグソー(あの世)に送るウークイ(送り火)滑稽な珍問答で笑いを誘っうあの世から来てくれた。ウシュマイとンミー。

 仮装行列「ミチサネ」で農作業や漁の様子を再現、子孫繁栄と豊漁豊作を祈願するところがある。先導して歩くのがみるく様。棒(ボー)や太鼓(テーク)、舞踊や念仏踊り(ニンブチャー)など多彩な奉納で先祖を供養しミチサネが各集落を出発。稲の収穫を再現するマミドーマ、精米作業を表す稲摺り(イニシリ)、豊漁を意味する魚釣りなどを披露する。道化役のブーブザーが行列におどけたしぐさでいたずらをする。これは波照間のお盆の様子。

 13日のンカイ(迎え日)に始まる。伝統のアンガマが招かれた家々を回り、ウシュマイ(翁)とンミー(媼)があの世からファーマーを連れてきてくれる。15日のウクイ(送り日)、翌16日の獅子の霊力で悪霊を追い払うイタシキバラで旧盆を締めくくる。

 エイサーは1957年に始まり、ことしで61回目。石垣島北部地域三大夏祭りとしては4年目を迎えた。「2世、3世そして新しい移住者とともに『永遠の楽土』を目指し、みんなで頑張っていきたい」とある。 

 幕開けのエイサーでは、明石の住民や島外から駆け付けた出身者らが輪になり、夕暮れを背にエイサーや手踊りを舞う。 夏祭りの最後を締めくくるエイサーである。

 書いていても、何がどう行われるかはまだよく分からない。3日間青年団のアンガマの行列は夕方から夜中まで招かれた家々を1時間ごとに回る。これが3日間だから、なんと18のお宅がアンガマを招いたことになる。招く家は名前と住所と時間が新聞に出る。近所のものが尋ねる事ができると言うことかもしれない。

 最後に舞台の上で、高校生から、すべての青年団の方が一人一人挨拶をされた。高校一年生ぐらいではまだ少し恥ずかしそうであったが。それぞれがしっかりとした挨拶をする。石垣には挨拶文化が確かにある。

 参加してとても楽しかったので、来年もやりますと宣言するのが普通のようだ。おまえのお父さんは誰だと声がかかる。石垣○○だと答える。自己紹介と言うことなのだろう。石垣では誰の挨拶は良かったなどと話題になる。皆さんとてもしっかりと良い挨拶をされた。

 しかし、一つ不安だったのは、高校生の男子の参加は一人だけだったことだ。女性は10人ぐらいは居た。受験勉強があって、地域行事に出るのが難しくなっているのかもしれない。



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