プラステックは遠慮なく燃やしていい。
ごみが人類を滅ぼすと、養老先生は秦野の講演会で話された。廃棄方法の確立しない製品を製造してはならない。ここに馬鹿の壁がある。この素朴に正しいことを、人間はプラステックリサイクルというような確立できていない考え方を持ち出して、結論を先延ばしにしたに過ぎない。
リサイクルには、又石油に戻す技術はある。ケミカルリサイクルと言われる。当然のことだが、戻した石油は自然界にある石油の5倍以上の価格になる。高価すぎて利用はなかなか進まない。しかし、環境意識が高まり高価であっても使おうという流れはない訳ではない。
リサイクルと言っても燃料にするというものもある。サーマルリサイクルと言われる。エネルギーを回収するのでリサイクルという事に入れている。製鉄の製造過程で燃料として混ぜて使う。あるいは、プラステックごみを発電の燃料にするというのもある。生ゴミに混ぜて助燃剤として使うという事もあった。コスト的には一番可能性があるものだが、燃やすのをリサイクルに入れるのはおかしいという考えもある。
プラステックリサイクルを環境(原理)主義者達は、理念として掲げた。掲げた途端にそれは教義のようになり、論理性を退けるようになった。ダイオキシン騒動がそれを助長した。今でもリサイクルを金科玉条のように主張する人は居る。出来ればいいのだが、現実を直視すべきだ。
プラステックの処理方法が確立するまで、プラステック製品を禁止することが唯一の道である。当然これもできない話だ。できないで人類は滅びるのだろうと思われる。人間の身体には一年間で5グラムのマイクロプラスチックが蓄積されるという予測もされている。どこまで溜まると癌の発病になるのだろうか。
現代社会には建前のリサイクルなどと言う、尻抜けのひどい方法が広まった。プラステックごみ処理業者と環境団体が、連携して間違ったごみ処理法を広めていった。プラステックの分別をすることが、社会正義のように考えられるようになった。処理業者は仕事の創出だから、大いに善行として主張している。
結局のところその分別されたプラステックは、途上国に送られた。途上国ではそれを有償で受け入れて、まともな処理をしないでひどい場合はそのまま海に投棄されたものさえある。そして最終的には輸入禁止となった。
正義の気持ちでプラステック分別をしていた人が、海洋汚染の原因者になったのだ。石垣の美しい海岸もプラステックごみの散乱で、なさけない状態である。海岸の見えるごみはまだいいが、海に漂うプラステックごみはもう手遅れ状態である。
自然界で簡単には分解されないプラステックは、最後にはマイクロプラステックになる。そして海の生物の細胞の中にまで取り込まれてゆく。それは当然、人間の体にも蓄積されている。ある時点で、その許容の限界を超えることだろう。
プラステック製品がこれほど生活に入り込んだ原因は、コスト競争の結果である。資本主義経済には必要不可欠なものだったのだ。自給自足経済であれば、それほど必要な製品ではない。商業製品の競争が、生み出した産物ともいえる。
竹製品の方が美しい製品はある。しかし、プラステックよりも高い。企業的な競争社会の中では、廃棄コストを考えない、負のGNPを増大させる製品が蔓延しやすいのだ。放射性廃棄物と同じである。廃棄コストを計算に入れないで、安いエネルギーと政府は吹聴している。悪質なデマである。
政府は無策である。無策の証拠にスーパーのレジ袋の有料化をまるで、マイクロプラステック問題の解決になるかのような、意味不明なことを言っている。チホウカシテイル。それどころではない自然破壊の解決策を考えようともしない。放射性廃棄物と同じ構図。手に負えないことはなないことにして終わる。
リサイクルにはもう一つの問題点があった。分別をすればするほど、不法投げ捨てが増えるという問題である。石垣島に来る旅行客は、石垣島の分別は理解していない。分別もわからないし、捨て場のないコンビニで購入したごみはレンタカーの窓から放り投げられる可能性が高まる。本来であれば、ごみ箱を用意して、その面倒なごみ処理は、観光業者が負担すべきだ。島中に放り投げられるよりはましだ。
家庭ごみも同様である。分別を細分化し、厳密にすれば、プラステックごみを家庭で保存しておかなければならない期間が延びる。当然よく洗わなければ、くっついた油などが、腐敗して臭い。
捨てるトレーを、お湯と洗剤を使い洗うことになる。そのさい使うエネルギーは、捨てるトレーの5倍になるというデーターがある。エネルギー循環の側面から、完全にリサイクルは破綻しているのだ。
プラステックごみは燃やすことが、当面一番良い処理法なのだ。一番良い解決法は、プラステック作らないことだ。それが出来ない間は燃やす以外に道はない。少なくとも、プラステックが循環する輪の中に入るまでは、製造禁止以外に無い。
多分できないだろう。人類にはその英知は無い。とすると、人類の体に、限界を超えてたまる前に、プラステックに変わる、自然分解する素材を開発するほか無い。できるだろうか。一日でも早くと願うばかりである。
そのためにも、製造コストの中にごみ処理費用を含める必要がある。電力コストでも、核廃棄物の処理費用を原発発電コストに入れるのは当たり前のことだ。その当たり前をできないのが、政府の愚かさである。プラステックも出来ないだろうな。ペットボトルや、レジ袋を拾って、売った店に持って行けば買い取ってくれるなら、減るはずだ。
プラステック製品は処理困難製品である。その処理にふさわしい費用を加えなければ売れないようにする。家電にはそういう制度ができている。スパーのレジ袋一枚に100円くらいのリサイクル処理料を加える。いやなら、袋持参。もちろん持参のプラステックかごには1000円ぐらいのリサクル料金を加える。