描きかけの絵は捨てられない。

   

小田原の家の片づけをやっている。石垣で絵を描くことに専念できそうだ。子供のころから整理が終わらないと勉強は始まらなかった。Wさんが先々住んでくれることになった。家の中の西側に荷物を全部東側に移動している。絵は以前、石垣にほとんどを送ったつもりでいた。石垣への引っ越しの前に思い切って、廃棄したつもりでいた。軽トラで何台も焼却場に運んだ。焼却場の人に、さすがにもったいないだろうと言われたぐらいだ。さすがに絵を捨てるのは辛かったが、もう仕方がないと思って廃棄した。ところが、残った絵が今も小田原の家にかなりあった。石垣の家にある水彩画は50枚×15段引き出しの保存タンスが2棹。1500枚くらいという事になる。ところが、小田原の家にもまだ、500枚くらい残っていた。額に入った絵が100枚はあるか。入っていない絵が400枚はある。何故こんな事になってしまったのか。どの絵も描きかけの絵で、これからやるべきものだからこまる。この先がある絵を捨てる訳に行かない。額に入っている絵も、見ている内にまたやるべきことが見えてくる。額に入れてあるというのは、完成したという訳ではない。やるべきことを探すためには、いつも見える所に出しておかなければならないということ。絵を捨てられないのは、大事だからではなく、制作途中だからなのだ。
以前松田さんの家に行ったら、台所の流しの上まで絵が置いてある。玄関も階段も廊下も絵のトンネルになっていた。この絵の山のトンネルの中から描く絵を探すと言っていた。そして優しい奥さんが、「おとうさん食事にするからコンロの上の絵は動かしていいですか。」幸せな家庭は焔に包まれている。それは油絵だからそうなるのだろう。水彩画の場合、有難いことにタンスにしまっておける。制作の途中で廃棄してしまう訳にはいかない。肝心なところにたどり着くためにはもう少し描く必要がある。この先を描ければ、何かに至れると思っている。この肝心なという意味が良く分からないのだから、たどり着きようもないのだが。描いても描いても、絵が終わったなという感じがない。まあ、一応下描きはした。この後が大切なところなのだが、今はこの先は思いつかないし、一段落しかない。それで一応置いておく。置いておいて、つぎの新しい絵を描き始めてしまう。これが良くないのは分かってはいる。絵を描き始めるのがあまりに面白いのだ。絵の続きをやるより、新しく始める方が気分が良い。子供のころ海の家に行った時の状態である。もう早く海に行きたくて全身が湧きたっている。新しい絵を描きに行きたくてうずうずしてしまう。
そういう訳で絵の山が出来る。絵の山の前で、ただただ茫然としている。続きさえ描ければ、希望のある絵なのだ。見ていると、このままでは終われないというか、この先があるような気がしてくる。ここで捨てると大事なところに行けないようなのだ。困った。考えてみれば、絵を終わりまで描いたという事がない。いつも途中で発表している。どういうことなのだろうか。絵は石垣に送るのだろうか。まだ決意すら付かない。石垣に戻って、もう一度倉庫の状態を見てみてから決めようと思う。片付けの話ではなかった。絵が何故終わりまで行けないのかである。今朝、松波さんから、とても含蓄のあるメールがあった。松波さんの絵に関する洞察はいつも深い。日本の芸術には完成はないのかもしれないと。絵の完成という問題についての意見だ。確かに完成とは違うところに行くものかもしれない。人間が生きるという事がそもそも結論がないものだ。訳の分からないものだ。どこから来て何処に行くのか。本来無一物。今日の充実というものを、刻々突き詰めてゆく以外生きる方法が分からない。
絵に呼ばれるという事がある。この描きかけの絵から続きを描けるだろうという呼びかけが、突然降ってくる。これを待っていない訳にはいかない。何か詰まっていたごみが抜けたような状態である。一気にどどっと来る。この時のやり尽くし感はすばらしい。何か結論が見えたのかと勘違いしてしまうほどである。結局のところ、また途中でここまでと終わる。しかし、この描き継いだ絵は何かが違う。やはり一歩踏み込んだもののように見える。しかも、描き継いぐことのできた充実は、ただ写生している時とは何かが違う。やっぱり絵を描くというのはこう言う事なのかと思える。写生は風景を前にしての生身の反応である。良い写生とは自分という人間を解放させて行く道なのだと思う。学んだ絵を離れ、自分の絵の世界へ踏み込んでゆく道程なのではないか。そしていつかは自分という人間が「制作という創造」に入ってゆくのかもしれない。それはまだわからないことだが、写生で終わりにしてはならないという事は間違いなのだろう。絵はたしかに完成を求めるわけでもないのだろうが。自分の到達を求めるものでもないのだろうが。もう一歩進んでみる。踏み込んでみる。そうしたいという気持ちは大切にしなければ。

 - 水彩画