日米地位協定に触れないで、沖縄に寄り添うアベ政権

   

岩屋毅防衛相は16日の会見で、日本や欧州4カ国と米国との地位協定を比較してまとめた沖縄県の調査報告について「国によって背景や事情もさまざまだと思うので単純に比較できるものではない」と述べた。河野太郎外相も12日の会見で「(地位協定は)さまざまな国内法を含めた一つの体系なので、その中の何かを取り出して比較するということに全く意味はない」と話し、県の調査に苦言を呈した。ーー琉球新報
日本でありながら、アメリカの支配下にあるの実情が日米地位協定である。安倍内閣は沖縄の不快感を理解できない。それなら寄り添うなど言うもんじゃない。はっきりと沖縄を犠牲にしてと言え。なんと醜い人間であろうか。沖縄占領下の1960年に地位協定は結ばれて以来、固定化されたままである。世界中が支配的地位協定を廃止した。アメリカから、敗戦国イタリアもドイツも主権を取り戻している。にもかかわらず、日本だけは未だ過去の遺物である地位協定の支配下にある状態。しかも、日本からお願いして地位協定を守っている。何故、日本だけがと信じがたいままに60年が経過しようとしている。この間日本政府はアメリカに依存し、アメリカに従わなければ、日米同盟という日本の地位が維持できないと思い込んできた。この差別状況はいつまでも放置されているのだろうか。不思議なことは右翼政権と言われるアベ政権が、このアメリカの支配をよしとする姿である。つまり、国粋主義者と言われながら、実は日本という国の自立は、怖くてできない弱腰政権なのだ。それは瑞穂の国と言いながら、米作りを軽視する姿と重なる。アベノミクスが既得権益を守るのであり、新産業の創出などできないこととも重なる。
本来同盟関係と言えば、日独伊の三国同盟がそうであった。国の主権は維持された上で互いの危機に協力して当たる関係であろう。ところが日米の関係は、日本の危機を守ってやるから、日本の基地は自由に使わせてくれ。と言う同盟とは名ばかりの隷属的契約である。それはアメリカの沖縄利用の方法に由来している。アメリカはアメリカ国内でも反対されるような危険な訓練を、治外法権の日本の基地において、自由自在に行うことができる。危険な生物兵器や化学兵器の開発であっても、沖縄では環境調査の権限は日本にはない。基地内で何をやっているかは全く軍事機密である。アメリカ国内で生物、化学兵器の研究を行えば、一定の範囲の警察力は及ぶ。沖縄の治外法権状態をいいことに、不十分な戦闘ヘリコプターのオスプレーの危険な訓練が続けられている。過酷な訓練状態や、戦闘地域への派兵による精神的苦痛にある兵士のはけ口が、米国国民に及ばないこともアメリカ軍の利点なのであろう。
日米地位協定の見直しを日本政府が行なおうとしないのか。むしろ、沖縄に犠牲をさらに拡大して押しつけ、辺野古に軍事基地を増強しようとしている。加えて南西諸島に自衛隊基地を連続的に配備している。この自衛隊基地はいつでも、アメリカ軍に提供しますのでと言う、アベ政権の密約があるのではないか。アベ政権の安全保障の本質は米軍隷属に違いない。これでは占領下と何も変わりはない。そこで負担を沖縄に丸投げである。沖縄の70%の意思は米軍基地反対である。奴隷の安全を望んでいないのだ。アベ政権には自立心がない。専守防衛の研究を行わない。戦争というものを政治利用している。現状維持、既得権益を守ることに専念する。憲法改定だけを政治目的にしている。よって日本の将来像を提示できない。アメリカにへつらうことだけのその日暮らし。そして、アメリカの兵器の購入で日米経済摩擦を避けようとする。すべての矛盾が沖縄に噴出する。
アベ政権は既得権益政権である。新しい状況を避ける。現状維持だけが政治目的化する。新しい状況に順応できない、既得権益集団である経団連の後押しをしている。新しい産業が生まれれば、危うくなる連中である。再生エネルギーが軌道に乗れば、すぐさま廃棄される、原子力村である。現状維持が目的化されたときには、もう末期状態と考えなければならない。新しい原発はさすがに不可能であることは、誰の目にも明らかである。にもかかわらず、古い耐用年数の過ぎた原発を再稼働させて、場つなぎを考えるなど、衰えの表れとしか見えない。その点でアメリカと意見が一致しているのだろう。アメリカの一国主義はアメリカ優位の現状の維持である。中国のような新しく登場する国を脅威としてしか見ることができない。もし日本がまともな成長力のある国であれば、隣に成長する国があれば、協力させてもらうことが一番良いはずだ。大東亜共栄圏を唱えたのはどこの国であったのか。アベ政権は沖縄の選挙で、繰り返し敗北している。民主主義はすでに失われているのか。地方自治はそもそも成立しなかったのか。

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