宮良川を描く
宮良川を描いている。宮良川は沖縄で2番目に長い川である。於茂登岳を源流として宮良湾に流れ出る。全長12キロメートルある。上流にダムがあることを除けば、ほぼ全域が自然の姿を残した川だ。石垣に暮らすものにとって神聖な川。於茂登岳が聖なる山であり、そこから流れ出て農地を潤し、海を育んでいる。宮良川を描くのは何か楽しい気分になる。明るい気分になる。川を描くことと道を描くことは似ているが、川の方が自然度が高い。自分で流れの方角を決めている。この自由さというかわがままな感じがおおらかでいい。昔、代ゼミの地理の先生が教えてくれた、川はなぜ蛇行するかという話だ。水は常に横に広がろうとするベクトルがある。このベクトルが働くので、弱い側面を切り崩し、蛇行を繰り返すことになるという。それが最後には三日月湖になる。その代表例が、石狩川の下流域である。宮良川の特徴は水位が極端に変わるところだ。雨が強く降れば、たちまちに濁流になり、中流域でも川幅は10メートルを超える。普段は1メートルほどせせらぎにしか見えない。川の色も透明に澄んだこともあれば、黄土色になり海に赤土を押し出している。白保の珊瑚は大丈夫かと心配になる。
河岸は立ち入れないほどの茂みだ。この茂みの様子がまた石垣らしく面白い。赤い花。白い花。黄色い花。青い花と一年中何かしらの花が咲いている。みどり色濃い木々に点在する花は絵を描くには好都合である。この河岸の樹木や草は年に何度水没する。水没しても水没しても再生して、独特の形状になっている。川の両岸の一段高いところには道がある。砂利道なのだが、車は滅多に通らないので、草がすぐ覆い始める。その道の自然な加減もいい。道は川から3メートルから5メートルほど高低差があるのだが、水位の高い日にはその道が水没するかと言うほどになる。川が中央の線になり、両岸を道が挟む。その周囲はサトウキビか、牧草地か、田んぼになっている。この人の耕作する自然との関わり具合が実に見事なのだ。手入れというものが、目に見えるように現れている。田んぼの畦はあくまで土だ。畦に生える草木が、風よけになっているのだと思う。
代ゼミの地理の先生の話が記憶に残り、石狩川の三日月湖を見に行ったことがあった。石狩川の茂みの中を歩いた。北の河岸は草が深いと言っても、なんとか歩ける範囲のものだ。おじいさんが留萌で布教活動をしていたという話に重なり、月形という駅名だったと思うが、そのあたりを一日歩いた。あれは60年前になるのだから、ずいぶん変わったことだろう。河口というものがとても興味深かった。陸をたどる水が、海に注ぐ。河口という水の出会い。河口ばかり描いて歩いたことがある。河口には人間の暮らしが現れていて、大体に町がある。町はなくとも何か施設のようなものがある。宮良川の河口はマングローブの林である。そばには貝塚などもあるから、その付近に人が住んでいたことは確かだろう。まだそのあたりは一度も絵に描いたことは無い。中流域には田んぼが多くあり、川と田んぼの関わりを書くことが面白い。
川沿いに4カ所の描くのに面白い場所がある。一番よく書くのは橋の上から、宮良川を描ける場所だ。割合広い橋なので、軽自動車ならなんとか邪魔にならない。上流に向かって描く日もある。下流に向かって描く日もある。いつの間にかその両方がまぜこぜになっていることもある。流れてゆく川なのか、登ってゆく川なのか。一番反応してしまうのは川に映る光だ。ゆれながら輝いている。田んぼの反射もそうなのだが、風景の中での光の巡る姿が面白い。水は水らしくとか、触れば濡れるとかそう言うことは考えたこともない。川を描いて別段川という意味はどこかに行ってしまっている。そこで作られている色と形と、光の循環する姿に惹きつけられている。描き終わってみると、それなりに、意味がわかる。こうした絵の描き方は学生の頃からほとんど変わらない。絵にしたいものはかなり一貫している。その描きたいものにはたどり着けた感じはないのだが、色と筆触で自分の描きたいものに向かっている。石垣に来てから、何でもやってみようとなった。白を使う。黒を使う。洗う。厚塗りする。何でもやりながら、水彩の表現の幅を身につけようとしている。絵にはならないのかもしれないが、あと一年ぐらいやれば、すこし方向が開けてくるかもしれない。