見ている世界を確かめるために
誰しも世界は目に映っている。しかし、それは「自分という存在が認識をして見ている」ということとは少し違う。見えているという事を自覚するため、見たという認識を脳が確認する必要がある。脳の中で言葉にしなければならないことが必要なこともある。あるいは見えていることの自覚の為に絵を描く。見えるという不思議を意識氏、認識するのは、眼が怪しくなってきて、より一層強くなった。緑内障は少し進んだようだ。この先のことは分からないが、今は70年間見えたという事の方に感謝したい気持ちである。なぜこれほど見ることを意識化したかというと、単純に見るということほど面白いことがないからだ。鶏を長年見てきた。稲も長年見ている。見ていてきりの無いほどおもしろい。つきることのない発見がある。絵もそうだ。私の描く絵の中で私が発見をする。私が見えて描いたはずのことなのに、いつどうしてこのように描いたのか不思議である。絵恥部分を超えて進み、自分の見るを掘り起こしてくれる。
見えている間に、もう少しものが見えるという事を味わい確認しておきたい。見えなくなりそうだと言っても、生きている間にという事でもある。人間は必ず消えてゆく。消えてゆくまでに、何とか自分の中の疑問のようなものを、もっと探りたい。その探り方のすべてが見るということにある。人間は対峙して自覚に至る。先ずは、他者と対峙して自覚というものが出来る。いろいろの人に出会った。もう一度会ってみたいという人もいる。学生時代に出会った様々な人は、再開することなく居なくなってしまった人も多い。先日もいつでも会えると思いながら、合わないでいる内に、急死された人がいた。残念でつらいことだった。再開したとしても、何かがわかるということでもない。会えば言葉ひとつ見つからないのだろう。気がかりなことはない訳ではないが、それは言葉化できないことばかりだ。当時もわからなかったことだし、今も疑問のまま心の奥に沈潜しているものがあるような気がする。何が分かりたいのかも、相変らずおぼろげである。たぶんそれは眼に見えている世界からしか行けないものだと考えている。だから絵を描いて確認しようとしている。
「人間が人間になる」ためには、他者というものの前に立たなければならない。人間になると言葉化すると、分かったような気になるが、実は何もわかって今書いたわけではない。今見ている田んぼがどのように見えているかという事を確認できれば、自分という存在が確認できると考えている。そちらの方が、自分としては確かだと最近思い始めている。見えているという事を画面に置くという事が、また厄介なのだ。この見えたでもういいと、そこを指させばそれで終わっていると、岡本太郎は書いている。中島敦が名人伝に書いたように、見えているという現実を画面に置き換え具体化するという事で失われるものが、いかにも多いか。これは描く技術の問題なのか。見えていることが曖昧だからなのか。見えているほとんどはこぼれ落ちる。これは絵描き修行の至らなさである。ひたすらの修業が必要である。その先のことは考えても仕方がない。肝心のことが見えてすらいない段階で、筆を忘れる世界を考えてみても、空しいことである。
それでもまだ眼には景色が見えている。好きな石垣の景色が眼前にある。有難いことだ。石垣に風景が残されていたことは幸いだった。人間が自然と関わる姿が、現れている風景。風景というもの、この空間というものを祈りたい気持ちになる。そうしたぎりぎりの人間が生きているという確認が、石垣の田んぼのおかげでできる。有難いことだ。田んぼは命のこもる場所である。生きるということの激しいものも、悲しいことも、喜びも、こもる場所である。この生きるの神聖を見ているのだと思う。思い込みのようなものだが、幸い田んぼを耕作する立場で、どうすればよくなるかを真剣に考えてきた。その結果、見えないものまで見えるようになったのかもしれない。目が見えなくなるということと、人間が死んでゆくということも同じである。必ず死は近づいている。それまでの間になんとか、自分の確認に至りたい。それは焦りでもある。このままでは終わるわけにはいかないという、自分の中途半端さである。あきらめがつかないということだ。