子供でにぎやかな石垣島

   

宮良川の絵の描きだし。ここで嫌な感じにならないように。気分良く進める。

石垣島に暮らす選択は、大正解であった。確かに天国に一番近い島である。ニューカレドニアではなく、日本の南に地上天国の島はあった。まず、私には田んぼがある島であることが素晴らしい。自給できる島である安心感。若い活力の島である。街に人があふれている島である。世界中からの人がやってくる島である。島の子供たちの歓声がどこか聞こえてくる暮らしである。保育園反対などという人の気が知れない。年をとればとるほど、子供の声はありがたいものになる。ここへきて、人がなぜ都会に集まるのかが体感的に分かった。人は賑やかなところがないとだめだ。気持ちが静かになってしまう。小田原の舟原で暮らしはしーんとしていた。石垣島はずーうと賑わいがある。良くゆく崎枝の集落は小田原の舟原集落と同じくらいの大きさだろう。しかし、崎枝には小学校がある。そしてレストランが3軒ある。それは観光ということが反映しているのだろう。日本で一番美しい場所だから当然だろう。普通の農村の暮らしもそこにはある。田んぼもあれば、キビ畑もある。牛が放牧されている。クルマエビの養殖池もある。そういえばマッサージのお店もある。

人が暮らす場所は動いている方が気分がいい。だから、都会に人は集まる。キャバレーとパチンコ屋ががないから人は出てゆくのだと。だみ声で演説した田中角栄さんを思い出す。子供がいる社会というものはなんともいいものだ。子供が公園でサッカーをしていた。集団で小学校へ向かっていた。こういう中で人は前向きな気分を持つことができる。もしかしたら私の絵もこういう子供たちの成長につながるのかもしれないと、遠いい、遠いいことだが希望を持つことができる。石垣島に来てしみじみ良かったと思うのは、社会が若々しいということだ。若いということは希望が感じられる。私が石垣島で描く絵が、石垣島の子供の眼に触れるかもしれない。そして石垣島の何かが伝わる日が来るかもしれない。そんなかすかな前向きな気持ちを抱きながら、絵を描くことのできる幸せ。

石垣のすばらしさは自然というものと人間のかかわりの調和である。名蔵アンパルという、ラムサール条約に認定された湿地がある。この場所が最初に好きになって石垣に通うようになった。アンパルの湿原は田んぼで取り囲まれている。湿原のマングローブを切り開いて田んぼを作る。人間の手入れの姿である。人間が生きるということは自然に手を入れるということだ。自然と良いかかわりを持つということ。自然を破壊するのではなく、自然を敬い守りながら、調和するよい循環を見つけてゆく。自然環境の中に人間の暮らしを織り込んでゆく姿。自然を神として敬い、感謝してくらす。この姿が石垣にはかろうじて残っている。別段そういうことを考えて石垣の絵を描くようになったのではない。ただ不思議に神の存在するこの風景に引き込まれた。何か、描きたくてしょうがないものがあった。その意味が今になって少しづつ見えてきたような気がしている。石垣島の姿から、人間の暮らしに大切なものが何なのかを教わているような気がしている。

やっと、地場・旬・自給が絵とつながってきたのかもしれない。小川芋銑の河童の絵を思い出した。そのことはまた次に。まだまだ時間はかかりそうだが、何とか石垣にわずかに残る、日本人の暮らしの原点のようなものが、絵とつながればと思う。久しぶりでB版全紙の絵を2枚描いた。8号の絵も2枚描いた。6号を描かないといけないので。小さい絵を始めている。違うサイズの絵を描くことも目を変えることになる。小さい絵ほど水彩の色が生きてくる。大きくなると絵の構造が見えてくる。やはり中判全紙ぐらいがちょうど私には合うようではあるが、いろいろの大きさの絵を描いてみることも中判全紙の大きさを再認識できることにもなる。前向きに絵に取り組めているのは、石垣島のおかげである。石垣島の子供たちのおかげである。文化は老人国では保存はできても、生まれることがないということなのだろう。石垣島に暮らす選択は、大正解であった。

 

 

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