住んでいる家の生前整理
機械小屋の片付けが進んでいる。思わぬことから始まった移転であったが、片づけをしながら気持ちの整理がかなりついた。私の養鶏もこれですっかり片付いたという事である。子供のころからの夢が終わったという感じだが。やれることはやったので寂しさが湧いてくるという事もない。夢の後片付けもなかなか大変ではある。ずいぶんあれこれと夢の風呂敷を広げて、あちこちがツギハギだらけである。風呂敷に空いた穴を自分で繕う事の出来る間はまだ良かったが、今やらなければ穴は広がるばかりのていたらく。養鶏場をきれいな更地にして地主さんにお返しするのが、今の私の役割だと考えてしっかりとやりたい。石垣への引っ越しの前にこういうことが出来て少し安心をした。農の会は争いごとがなく、穏やかに楽しく。気持ちの良い活動でなければならない。今度作っている機械小屋はだいぶ使い勝手の良いものになりそうだ。駐車スペースが充分とれたことが大きい。家の周囲にあれば、眼も届くのでひとまず安心な機械小屋になりそうである。やはり借りている場所では限界がある。
舟原の家の方は生前整理するつもりだ。良い形で未来につなげたい。家だから、誰かに販売してしまう事も出来ない訳ではないが、今の気持ちとしては小田原に戻った時に自分が泊まるところが確保されていればそれでよいと思う。そして、うまく農の会で使ってくれればありがたい。家や財産を相続するような親族はいない。このままでは廃墟になる。そういう家も多くあることだろう。地方によってはすでにそうした状況が始まっている。親族がいたとしても、そこに戻ることがないことが普通になっている。家が明確な意図のないまま放棄されて、空き家になり荒れ果ててゆく。近所にとっても甚だ迷惑なことだろう。地域に一つでもそういう家があると、地域の雰囲気は悪くなる、その上不安なものだ。舟原の家も建てられて100年の家だ。なかなか良い作りの家である。まだまだ、100年は使える家だ。住み始めてからも何度も改修をした。雨漏りはない。床下には炭が大量に入っていて、今は比較的良い環境になっている。そこに味噌などをしまう事も出来る。
この家は出来れば農の会の家になればいいと思っている。しばらくは私の寝泊まりする部屋もあり、誰もが使える場所になれば最善である。管理をしなければならない訳だが、この点が現在の課題である。集団で管理するというのは良いようで、難しい点がある。やはり、見識のある人にお任せしないと無理だと思っている。石垣に家は10月末にはできる。カヨ子さんは一足先に引っ越す。当面舟原で一人暮らしになる。少なくとも来年一年間は舟原で暮らし、石垣には絵を描きに通うことになるだろう。その先のことは、始めて見なければわからないが、まずは2地域居住だと思っている。身体がいつまで動けるかで、だいぶ状況は変わる。田んぼや畑が人並みにできる間は自給的な農業のまとめをやりたい気持ちがある。遠からずできない時が来る。あと1年はやれそうである。その先何処で衰えるのかは人によってずいぶん違う。何とか自分で整理ができる間に結論は出さなければならない。
生前整理とは次の世代への引き継ぎという事なのだろう。十二分に生きるという言ことにまい進するために、整理する必要がある。生来無一物。十分に生きるという事は自分の始末もきちっとやるという事を含んでいるのだと思う。農の会の始末もしなければならない。後の人が気持ちよく活動できる状態にしたい。活動を続けるも、終わりにするのも後の人たちが自由に考えて決められる状態が良い。そういう引き継ぎ方がしたい。生きるという事は地球という場所をお借りしてしばらくを過ごすという事のようだ。過ごし方が面白く、充分であればいいという事なのだろう。まだ、家をどうすれば良いのかはわからないが、一年間この家に暮らしながら、未来につながる形を見つけたいと思っている。