単管パイプの機械小屋作り

   

農の会では新しい機械小屋を作った。機械小屋を自作する能力がなければ、自給農業は出来ない。江戸時代の百姓仕事はそいいう事も含んでいた。農閑期に大工としてとか、酒造りとか、何でもこなしたのだ。観察という意味では、研究者でもある。大規模農業で外国人労働者を使う農業は細切れにされたある労働を担うという事になる。工場で働くようなことに近いのだろう。一番手軽に作れるのが、単管パイプで作る小屋だ。まず整地をして、単管で柱を立ててから、コンクリート打ちをする。その後単管で骨組みを組んでゆく。単管に垂木クランプを付けてそこに波板を打ち付けて作る。屋根も同じである。大型台風でも壊されないものが作れる。大きさは5m×18mである。90㎡と籾小屋が一坪。駐車が下に7台分新しく作った。前からある駐車スペースが広がって8台。上の機械小屋の前が3台として。何とか18台は止められる。機械小屋の中にはバインダー4台。ハーベスター3台。籾摺り機。トラックター2台、足踏み脱穀機、とうみが2台。枝シュレッダー。洗浄機。コンプレッサー。が入った。そのほか3つの田んぼの苗箱などが置かれている。コロガシやとんぼ。線引きなどの農機具類もかなりの量ある。

工事は10月18日に始まった。そして、11月2日に第一期工事が終わった。13日間の工事であった。駐車場作りと旧機械小屋の解体移動。そして、新機械小屋の整地から建設と一気に行った。加えて私の家の周辺のガラクタの片づけまでやった貰えた。膨大な仕事量になったが、農の会のみんなが協力してくれて見事に完了した。多いい日は10人を超える人が集まって作業をした。有難かった。今安堵の気持ちと幸福な気持ちでいっぱいになっている。大変なことだが、楽しかった。みんなで心を併せて作業をするというのは楽しいものだ。農業も好きではあるが、みんなで何かをするという事が好きなのだろう。農の会をやってきてつくづく良かったと思う。7日に石垣島への引っ越しである。その前に農の会の機械小屋が整備が出来たことは最高の喜びである。ここまで早く進むとは思ってもいなかった。もう一年私は小田原に残る。その先のことまではまだ見えないが、これからの一年間で私が行ってきたことの引継ぎが出来ればと思っている。残った工事は旧養鶏場のコンクリートの片付けと新機械小屋の前のコンクリート打ちである。これは、旧養鶏場の片付けが終わってからという事になるので、早くて、13日あたり、遅ければ19日ぐらいになる予定だ。

すでに90㎡ある機械小屋がほぼ満杯になった。機械整備を兼ねて、倉庫全体を整頓する必要がある。農業を行うには程度は違うだろうが、それなりの機械が必要になる。倉庫がなければで農業はやりにくい。機械を一切使わない主義の人でも、シャベルや鍬が置ける農機具置き場や、お米の保存スペースなどなかなか普通の家では難しい側面がある。軽トラがなければ、自給農でも不自由することはある。堆肥を運ぶとか、農機具を運ぶという時に軽トラには必要になる。こうした部分を共同利用できれば、アパート暮らしでも自給農に成れる。耕作放棄地で困っている行政はこんなところに目を付けるべきだ。共同の農機具。共同の保存庫。精粉の機械。JAが本来ならやるべきことなのだろうが、自給農は当然枠外である。であれば条件不利の耕作放棄地はどうなるかである。もうそういうことを言っていられる状況でないと思う。自給農受入の設備を作り、新規就農者を歓迎することだ。

以前は雨の時には機械小屋で食事を食べたりもしたのだが。今度はそういう場合私の家がそばにあるのでそちらが使える。私の家全体を農の会の活動拠点にしてもらえればと考えている。機械小屋と活動拠点が隣接しているという事は、今後の活動にとって条件が良くなったと思う。利用の仕方は今後の課題であるが、家の方も上手く使ってもらえれば、私のやってきたことも無駄ではなかったことになるのでうれしい。大豆の会関係の大釜などもかなりの量あったのだが、これはすべてまごのりさんの倉庫に置かせていただいた。まごのりさんの広い圃場で味噌づくりなどをやらせてもらう事になったので、その近くに道具があれば便利という事で、倉庫を分離した。まごのりさんの好意がありがたい。今後の大豆の会の活動が新しい展開になることだろう。まごのりさんの圃場の草刈りぐらいはみんなでやれるといいのだが。みんなにとって良いということ以外は、続かないものだ。

 - あしがら農の会