桜満開の甲府盆地
小山城址 桜の向うに南アルプスが見える。
甲府盆地はどこに行っても花花。花があふれている。去年から描いている小山城址をまた描きに来た。今は笛吹市の境川藤垈で生まれて、育った。もし故郷の記憶というものがあれば、とどこかで辿ろうとする自分がいるが、よくわからない。藤垈の部落は[芋の露連山影を正しうす]と飯田蛇笏氏が書いた隣の部落である。この句を記憶しているのは、その景色の中に生まれ育ったからだ。露に映る連山の姿に故郷がある。その露には正しいを目指そうとしていた、自分もいるような気持になる。あの凍りつくような秋の寒い朝に、甲府盆地の向こう側の南アルプスは厳しいものである。さあ油断してはならないぞと、身が引き締まる思い。
昼ご飯を食べたラーメン屋にあった地方紙に、地元の俳人として飯田龍太氏が出ていた。この人もなくなられてもう10年は立つだろう。そのお父さんの蛇笏氏は、句会で向昌院にも何度か見えた。当時私は何もわからないくせに、父は和歌の尊ぶ家の人だったので、俳句というものをどこか軽んじていた。それは江戸文化というものを軽んじることにも通じていて、今思えば何たる恥ずかしい人間だと思う。句会でお寺の周りをぶつぶつ言いながら、俳句をひねり出しているみんなの姿を、不思議な生き物に見ていた。私はこうして、花花花の季節になると、甲府盆地に来たくなる。18ぐらいまでの記憶だから、50年の年月がたっている。昨日もまた境川小学校に行っても記憶が定かではない。私の生まれた、向昌院が様変わりしていて、なんとも、どう考えればいいのか受け止め方が難しい。日本では50年たって変わっていない場所というのは、消えてゆく運命にある、消滅と呼ばれるような場所なのだろう。あるいは文化遺産。
今年は今日あたりが桜満開だ。それを1か月前に予測してホテルの部屋を予約した。桜の満開が3月中というのは、さすがに早い。どうしてこの日が桜満開と読むことができたのか。百姓はおてんとうさまを読めなければできない。1か月予報で言えば、気象庁より正確に天気を読む。長年培ったものだ。桜のシロ。雲のシロ。杏のシロ。雪山のシロ。白はすべて違う。そんなことは誰の目にも良くわかることだが、これが写真でも、絵でもなかなか難しい。その辺を描いていたのだと思う。突然昔の水彩画のやり方が自分の絵に現れた。ありえないことを描くために、全く違う迫り方をするということ。その迫り方が西洋画で学んできたようなやり方とは違う。このシロの違いが違いとして画面に誰の目にもわかるように表すというのが西洋画。その違いの作り出す、自然の幽玄のようなものを画面では目指すのが、日本画的な手法とでもいえるのか。4つのシロが描けたとしても、その作り出した世界が表せるわけがない。目の前にある現実を再現するのが絵ではないと言い切る。写真では、なんとなく4つのシロの違いは見える。ところがその4つの違いが生み出した空気感はなかなかでない。
そんなことに今更気づいたことが、うれしい。自分の凝り固まっていたものが少しはほぐれてきている気がしている。自分に戻ってもいいんだというような気さえする。前に進むためには、自分を否定しなければならないという、発想自体がなんだか自分を縛ってきた。自己肯定して絵を描くということにもいくつかある。写す目になるとしても、写す世界をどう見るかはやはり人間次第である。この自分という人間がどのように反応しているかが問題。まず、4つのシロに出会うことは出来た。これをどのように描けるかということは、自分にはどうでもいいことで、この4つの白が作り出したこの風景という物の動静というのか、鼓動というのか。勢いというか。自分を含めた全体の持つ力のようなもの。そこに直接迫るということだ。今日もう一度夜明けから描いてみようと思っている。