花の笛吹市は桃源郷である
花の谷間 笛吹市藤垈から見る、原から寺尾に続く谷間
この時期の御坂山地に襞のように繰り返される、尾根と谷間は格別に美しい。藤垈、大黒坂、寺尾、原、の甲府盆地の南に位置する。特に、早朝光が盆地に入り込む頃は、光と空間が織りなす舞台の世界である。それは夕方に南アルプスに太陽が沈む時にもう一度再演される。昔は桑畑と田んぼがもう少しあった。この原の谷間も、上流にため池があるから、田んぼは行われていたはずだ。田んぼがあったころのことは、残念ながら記憶にはない。多分見たはずなのだけど、少しも思い出せない。藤垈の方にあった田んぼは今はほとんどない。田んぼがなくなることで景色は、湖になる機会を失う。甲府盆地が田植えになると、湖のように一面が光ったこともあった。これは確かに記憶にある。田植えの匂いまで蘇る。その記憶は、昔はこの盆地全体が湖だったんだと、教えられたことにつながっている。
今は甲府盆地が花の湖である。すでに桃が咲いた。2週間は早い。もう20年近く桃の花をを描きに来ているが、こんなに早いことは初めてのことだ。これは冬が寒かったからだ。寒さに強く当たることで、花を早く咲かせることになる。3月に25度を超えるということは、初めてのことらしい。この夏のような陽気も影響している。この2日で一気に桃が開花した。桜、杏子、桃が一時に咲いた。桃農家の方は、急な開花に追われるように花粉採りで忙しくしていた。この辺りは標高が300メートルはある。今は山の上の方まで道がある。上の方から見てみようと登ってみると、山の日蔭にはまだ雪がある。林道には冬季通行止めとある。春が下の方からのぼってくる。山の上の日蔭で暮らしていた頃が思い出された。
なぜ、高いところから広がって行く空間という物を描きたくなるかといえば、多分おばあさんか、保子おばさんに背負われて、向昌院の梅の木の下から坊が峯を眺めていたからだ。最近はこの推測が確信に変わっている。人は私の俯瞰的に上から見る描き方を、仙人とか、殿様とか、揶揄することもある。むしろ、これは町の方への憧れという物なのだ。さみしい村はずれの山寺ある。そこから見る甲府の町という物が、どれほどの輝きでっあたものか。親元を離れて、おじいさんおばあさんのところにいるということも影響している。あの甲府のさらに先に東京の家があるという気持ち。見るということはそういうこともすべて含んでいる。絵を描く眼はそういう記憶を呼び覚ます。だからと言って今見えている坊が峯が、変わるわけではない。絵も変わるわけではない。絵の世界が妄想の記憶の中に漂う気持ちである。
絵という物は妄想なのだと思う。人間の中にある深くしまいこまれた、染みついたもの。ここにぶち当たるものだと思う。それは他の人にはどうでもいいことだろう。ただそうした、奥底まで妄想したものは、何か人間共通のものがある。世界の上ずらだけを、撫でまわすような絵も、人間共通である。そして、人間の根源を探りあてるという絵画も、繋がらなければならない人とつながることになる。奥底の妄想にどのように踏み込むか。これは生きる覚悟のようなものが必要だ。人間の奥底はどうしようもない、でたらめのものだ。狂気がある。そのただならぬものまで、さらけだすということになる。ダビンチの絵の中に漂う狂気。北斎の絵の中にのたうつ狂気。こうした真実の実在は証明は絵の世界だけに存在する。奇跡のように実在するものである。