舟原溜池の整備
3月28日朝6時 溜池に水が溜まった。4羽の鴨が来ていた。下の池はすでに50センチぐらいの水位がある所もある。満水で60㎝から70㎝と考えている。
15時間ぐらい水を入れていて、後20センチほどで下の池が満杯になるところまで来た。
上の溜池はまだ水は流れているだけで溜まってはいない。こちらは浅い水位の池になる予定だ。
斜めになっているパイプは魚道である。この塩ビ管は40センチぐらいの直径がある。一番下の塩ビ管から水は下の池に行っている。
あさひが差し込んできたところで幻想的な景色になっている。
木ブシとこぶしが今咲いている。花が咲くと空気が華やぐ。
舟原溜池に水が溜まった。舟原に越して来てから20年の夢が実現した。この溜池は江戸時代初期元治年間に作られたという。その頃日本中が新田開発が進んだ。徳川幕府の政策である。小田原でも久野地域に田んぼが広がり、それに伴い集落も増え。人も増えていった時代だろう。久野の古い家は大体この頃からの家の歴史がわかっているようだ。
この溜池が奇跡的に残っていたことは小田原の農業遺構という意味で、かけがえのないことだと思っている。小田原での人の暮らしを考える上で、とても大切なものになってゆくと思う。田んぼは減り続けてゆく。後10年すると、どれだけ残っているか心配になるほどである。私は20年前に小田原久野に越して来てから、すこしでも田んぼが残って欲しいと願ってきた。色々試みたが、なかなかうまく行くことばかりではなく、小田原の田んぼの減少は止まることはなかった。
田んぼが無くなるとしても、小田原の田んぼがどんな形で始まり、どんな暮らしが小田原にあったのかは記憶しておく必要があると思う。これから農業を取り巻く環境はさらに変わってゆき、農業は無くなる地域も増えてゆくことだろう。せめて、この溜池が農業遺構として記憶を止める何かになることを願っている。この後美しい場所にしたいと思っている。美しい場所であれば、人は守り残そうとするはずだ。多分するだろう。いやするかもしれない。