アートと芸術

   

形で残る作品だけでなく、仮設のものやパフォーマンス、ワークショップなど、芸術のかたちが多様化しています。現代アート、コンテンポラリーアートということでカタカナの「アート」と呼ばれることが多いのですが、これらは必ずしも美術館の中に収まるものではなく、むしろその外、たとえばまちなかや自然の中、あるいは廃校や空き店舗といった場所を舞台に、さまざまな人々の協働によって作られる作品やプロジェクトです。ーー吉澤弥生氏インタビュー 人をつなぐ芸術

芸術の社会的役割が衰退する中、ワークショップという場にアーチストが登場している。このアートと呼ばれるものが良く分からない。これは芸術と呼ばれてきたものと、別の物でいいのだろうか。70年代現代美術というものが現れた。それまでの分からない芸術というのは、抽象作品から、アクションペインティングというような感じだったものが、直接的な芸術論を作品の背景に込め、理屈を読み解かせる美術というような、実に観念的な作品が現れた。これは、若い芸術家志望者には魅力的なもので、読み解きの競争のような感じで、作品を真似したりした。論理の問題であるから、熟達の技術というようなものは関係のしない芸術の登場。制作の段階から、結果の作品まで、すべてに意味付けをしようとした。もちろん私もそうした論理先行の美術の動きに影響された。その頃日本中で現代美術展のようなものが企画されていた。大学の同じ美術研究室に見えていた、内地留学生の人の作品が北陸現代アート展受賞をした。審査委員長が針生一郎氏だった。大きな刺激を受けた。10㎝角ほどの四角い枠がカレンダーのようにある。その枠が一日らしい。そして日記のようにその中に、生ましい日記のような一日が込められていた。私はその人を知っていたので、その一つ人の枠のなかの世界にぞっーとした。生のその人が虫ピンでとめられている気がした。

その後いつの間にか変化しながら、彫刻のシンポジュームなども行われるようになった。友人が夏休みに下関だったか遠くで泊まり込んで制作するようなものに参加していたというような話を聞いた。その場に残された作品というか残骸などを見せてもらいにいったこともある。町おこしとワークショップの連動の場が始まりつつあったのだろう。2000年ころからイベントと連動したアーチストと呼ばれる人が登場する。私の考える、つぎの時代の芸術とは個人化だという考えと対極的なものなのだろう。芸術の社会化。というか芸術とは別分野と言い切った方が分かりやすい、アートの登場。町おこしにアートが何か力になるとされるているのだろう。最近のテレビニュースでも度々放映される。廃校やシャッター通りのお店を表現の場にするというようなイメージがある。何か意味ある成果があったのだろうか。街に人を呼び込みたい。街の印象を変えたい。その一つの手立てとして、アートに目が向けられる。アートと芸術とは少し違う肌触りがある。アートと現代美術というものとも違う。70年代登場した現代美術と呼ばれたものは、もう半世紀も前のことになるのだから、現代という言葉時代がちぐはぐな感じがする。歌謡歌手がアーチストになった感じか。

それでも現代美術と50年前呼ばれていた作品と、今アートと呼ばれている作品は似ている。似ているけど違う。その違いは、物存在としての主張があるのが芸術。音楽のように、あるのだけど物存在ではないのがアート。地方活性化というものは経済全体の問題である。そこには触れないで、閉じたシャッターを開けて人を呼び込むようなアトラクションをやっても、地方は活性化はしない。それはゆるキャラの張りぼてと何も変わらない。現代音楽がクラシックのジャンルに入るように、現代美術は芸術の一部として作られていた。今行われているアートはインスタグラム的とでもいうのだろうか。むしろ60年代のアングラ劇団のやっていたことに近い感触がある。現代美術はかなり難解で、高踏的で、理屈っぽい印象を身にまとっていた。それゆえに反社会的な空気感も含んでいた。だから、今行われている街づくりに加わるアートとは似て非なるものという感触がある。70年代の美術家が反体制的な活動を含んでいたということが、社会的には70年以降現代美術が消えてゆく一つの要因であったのだろう。しかし、当時その周辺に居たものとしては、もう少し多様性を感じていた。多様性ではなく、その現代美術と言うまだ位置づけを持たない混沌は、単純に割り切られるのを拒否していたのだろう。

 

 

 - 水彩画