舟原溜池の整備
3月11日に舟原溜池の整備を行った。農の会の人たち12名も参加してくれた。有難いことだった。小田原に越して来た時のどうしてもやりたかったことがやっと果たせそうだ。これが、小田原久野舟原で20年暮らさせてもらった、お礼のようなものだと思っている。舟原溜池は一つ下の集落の欠ノ上の16軒の田んぼの水にかかわっていた溜池である。舟原には3つの溜池があり、田んぼに水が必要になった時に、久野川に落としたらしい。一番上の舟原の溜池は元治年間にできたものと記録されている。久野川を又渡端の100メートルほど上流でせき止め、左岸に水を回した。今は山際の田んぼは一つもなくなったので、使う必要がなくなったという事のようだ。川の本流を堰き止めるほどの意味は無くなったている。そこで使われなくなった溜池の管理は徐々に行われなくなった。20年前に舟原に来たときには満々と水をたたえ、オシドリが来ていた。それが水が溜められなくなり、草も刈られなくなると忽ちに荒れ地になり、猪の蒐場になってしまった。
美しかった溜池を思うと、何としても整備して昔の様子を取り戻したいという気持ちが湧いてくる。紆余曲折はあったのだが、小田原市が溜池の土地を登記してくれて、権利関係を整理してくれた。そして、4月1日付で里地里山協議会と協定書を結ぶことが決まった。監理協定書の内容については、欠ノ上、舟原の両自治会も了解してくれた。この間草刈り程度はしてはいたのだが、到底手におえない状態になってしまっていた。お隣の田んぼの下田さんが溜池までの道をコンクリート化してくれた。そのおかげで、車が溜池の場所まで入れるようになり、何とか工事を行える準備が整った。現在の溜池は繰り返される土砂の流入で、半分は埋まってしまった状態である。この土砂を手で動かすことはほとんど不可能な状態である。加えて、大きな機械が入れば、泥に沈んでしまう悪条件である。これを何とか田中さんが土を動かし、形を付けてくれた。
17日にもう一度作業を行う予定である。たまたま私は舟原自治会の環境美化委員をやらしてもらっている。この溜池の整備は環境美化委員の仕事にふさわしいものかと思っている。作業をしながらごみ拾いをしたのだが、ごみ袋に20袋ものごみが集まった。こんなところに何故こんなにごみが集まるのかと思うと、何ともさみしい気分になる。塩ビ系のごみは何年たっても朽ちることがない。田んぼでも風で飛んでくるのか、作業前にはごみ拾いはつきものになる。実に不快なものだ。花が咲くような明るい場所にしたい。美しく花が咲いて居れば、安易にごみを捨てることは無くなるだろう。本来であれば、昔の溜池を再現したい。然し再現すると水位が高くなり水難事故の危険がある。小田原市が管理責任となるので、それは出来ないという事になった。今回の作業には農政課から2人の職員も参加してくれた。有難いことではあるが、少し違うと思っている。職員が労働力として参加する必要はないと思う。市役所の役割は別だと思うのだ。
溜池を整備し維持してゆくことは、地域の人たち自身が行うべきことだと思っている。自分たちが暮らして行く場所を、美しい場所として維持することが、そこに暮らす人の喜びでなければならない。今回管理の仕組みは出来上がりそうである。基本の整備もできる。これを農業遺構として保存できるのかどうかは、つぎの時代この地域に暮らす人たちの気持ち次第だと思っている。昔の姿をしのぶことができる範囲での、親水公園が現在の監理の方向である。溜池の整備が出来たらば、どんな木をどこに植えたらよいか。どんな植物を植栽すればよいか。地域の人の意見も取り入れながら、美しい場所を取り戻したいと考えている。私が舟原を離れたとしても、次の世代の人が管理してゆきたくなるような場所にしたい。久野に田んぼが無くなる時代が来るのかもしれない。そうした時代が来たとしても、久野に人が暮らし始めた時代をしのぶ農業遺構は、お城よりもはるかに大切だと考えている。