アベノミクスの実態
アベノミクスが安倍政権の経済政策だ。選挙に勝利したので、このままゆくらしい。いまさらではあるが、もう一度考えてみたい。3つの方針が立てられている。1、大胆な金融政策。2、機動的な財政政策。3、民間投資を喚起する規制緩和による成長戦略。内閣府のホームページによると、その成果が続々開花中という事である。一方、破たんしているという主張も多い。このアベノミクスという経済政策が一向に理解できないで来た。
〇大胆な金融政策というのは、日銀はどんどんお金を発行して、円安誘導をしているということになる。ところがそのお金がうまく国内で回っているかと言うとそうでもない。銀行や企業内で溜まっているらしい。その為なのか2%の物価上昇は2年で達成どころか、4年経過して最近ではむしろデフレの不安が言われだしている。さらに大胆になるというが、黒田総裁は約束を果たせなかったら止めるといっていたはずだ。2年が過ぎ、4年が過ぎ、まだ止めない。
〇財政政策というのは公共投資を拡大するという事らしい。1兆円を超える赤字を抱える国の財政である。機動的なと言っても、実際には返済の当てのない、さらなる赤字を増やしている事になっている。公共事業の増加で人手不足と資材高騰にはつながっただけだ。オリンピックの建設費のべらぼうな増加等がそうした結果だ。もう機動的な財政政策などできない状況ではないのか。
〇規制緩和の方はどうもお友達の加計学園問題で分かったように、地方での大学開設の規制緩和と東京での大学定員抑制等のちぐはぐ極まりない結果。都合の良い時だけの規制緩和と言えるのだろうか。地方活性化のための規制緩和なのだろうか。女性活躍とか地方創生とか、標語は踊るが現実には絵空事で、そんな実感はどこにもないのではないか。アベノミクスの為とは思わないが、待機児童の増加。地方の疲弊は広がるばかりである。
現状の日本の経済は緩やかな回復基調が過去最長続いている。馬鹿げた分析が言われる。すでに経済指標が現実にそぐわなくなっている。アメリカの経済回復に連動して株価が引きずられているに過ぎない。世界では2つの傾向が明確になり始めている。後進国と言われる国が、資本力や技術力を高め、自国生産を増やしている。その結果、世界の貿易は増えなくなくなり始めた。中国が典型的で貿易量を下げながら、GNPを増加させている。同時に、各国で自国主義が芽生えている。アメリカファーストという形で、日本企業であってもアメリカで生産し、アメリカで販売するという形がとらされる。こうして経済は新たな局面を迎えていて、アベノミクスとは違う要因で動かされている。確かに円安傾向が導かれて、日本企業の競争力が高まったという事はあるが、それは輸入製品の値上がりという事でもあり、資材や燃料の高騰という事はある。日本人の収入増加にはならない。生活費は上がり、消費が伸び悩む。さらに格差を広げるという結果だけが目立ってきた。
安倍政権が出来て以来の4年半の経済の推移をみると、GNPで見ると1,3%の成長という事である。これは景気回復どころか、低迷が言われた民主党政権時代よりも実は低成長なのだ。そして実質賃金の低下が起きている。国内の賃金格差の拡大である。能力主義、競争主義が奨励されている。競争から落ちこぼれそうな不安から、将来不安につながり、貯蓄を増やす以外選択の道を持たない。国民は将来への希望を感じられず、不安を日に日に高めている。当然、消費は低迷を続ける。アベノミクスが続々開花中というのは内閣府だけの妄想である。アベノミクスの妄想が、日本経済をさらなる危機を招いている。農業にも国際競争力という事が言われる。米を輸出できるようにする。大規模機械農業の奨励、補助政策。この結果導かれているのが、小さな農家の消滅である。経済を度外視して守ってきた農村が崩壊を始めている。それが地方消滅に拍車をかけている。
世界経済の最大の課題は、先進国の不安から産まれた自国主義とグローバル企業の関係ではなかろうか。日本政府が行わなくてはならないのはその対応である。アベノミクスなどという一国内の次元ではないのだ。自由貿易という形の経済の在り方が、国家主義という枠を取り払うように思えていた。民族や思想を超えて経済取引が増加すれば、国家間の対立構造は取り払われるという姿を、共産圏の崩壊で予測された。所が世界では新たな対立が生まれ、世界の深刻な格差がテロ国家を生み出しているのだ。将来への希望のない世界経済の枠組みの中では当然冒険主義の登場が起こる。アベ政権のトランプ依存がいかに危険なものか、その深刻な危機は迫っている。それでも国民が安倍政権を選択するという事は、ソフト独裁のイメージ戦略にはまっているという事だろうか。