メールやネットで市民活動は成立した
組織にはメールで連絡が取り合える組織と、そうでない組織がある。農の会や有機の里、里地里山協議会はメールやホームページで動いている。地域自治会は回覧板。連合自治会は電話網。電話連絡を行う負担は大きかった。電話してもいない。そのまま途切れる。水彩人はホームページとメール連絡と郵便による正式連絡である。大きな違いは費用である。いつこういう集まりを行いますという連絡を100名にするだけで、はがきであれば5300円かかる。メールなら無料である。会費の半分が連絡費になってしまう。メールや掲示板にはさらなる良いところがある。話し合いや相談ができる点である。またその記録が残る点である。誤解が生じにくい。こうしたいけれどどうだろうというような提案ができる。そして議論を共有しながら、結論が共通認識になる。その過程が記録として残るので、比較的、間違いの少ない形で意見の集約ができる。顔を合わせての議論の方が良い課題もあるが、メールの方が良いという場合も案外にある。
農の会が成立できたのはメールの普及にあると思っている。農の会ができた25年前はまだ、メール連絡は一部の人のものだった。その為に繰り返しメールは差別ではないかという意見が出た。メールをやらない人を排除しているという意見だ。私は強くメール連絡だけで良いと主張していた。メールは最も廉価な連絡方法だ。農の会はお金のない人でも同じ条件でなければならないと考えた。農の会の活動に加わりたいと思うのであれば、メールだけはやってもらうしかない。当人がメールをやらないとしても、誰か身近な人にメールの受け手を依頼するくらいはできる。誰でもがメールをやる時代が必ず来ると考えていた。ネット連絡の一番のありがたさは、連絡の事務手続きが簡便化したことだ。組織が連絡業務から解放されたという事である。それまでは何をやるにも事務担当の負担が膨大で、事務を行う人への負担感があった。その結果事務所が会を支配してしまった組織もあった。
活動を支えている人は事務所担当の人という事になる。事務担当の負担へ費用を払うとすれば、給与が必要な事務量になる。人を雇用する市民組織となると、かなりの規模が必要になるし、会費もかなりの額にならなければならない。事務所という場所代も必要になる。いわば市会議員などの主張する政務調査費というようなものを、参加者で負担しなければならない。大抵の市民組織は中心に支える人の思いの強さで事務負担が行われる。そしてその周りにいる人はその恩恵を感じながら、又何かすっきりしない気持ちを持ちながらかかわることになっていた。つまり、仕事が見えない権力になる。やってもらっているのだから、少し違うとは思うが仕方がないという感覚である。これを軽減したのがネット普及である。これで市民組織は一気に広がった。言ってみれば、社会の経済の論理とは別に動かざる得ないような組織が、社会で生き残ることができた理由がネットの普及である。ネットは市民組織の民主主義を支えるツールである。
課題は文章で自分の意見を上手く発信できない、たまたま発信すると少し考えとは違ってしまうと感じる人である。そういう人は黙って組織から離れてゆく。上手く言えないから、発信しないで置こうとなる。その為に自由な議論というものが出来なくなる。メールが記録として残る良さと弱点である。昔はよくメールではトラブルになるからメールでの話し合いは止して置こうという意見がでた。忖度するとか、慮るとか、顔色を見るとか、配慮するとか、惻隠の情とか、こういういわば日本的曖昧さがメールには入り込む余地がなくなる。私はこれこそメールの良い点だと考える。組織は余計なものがないさっぱりしたもので行くべきという気持ちがあったからだ。若い人たちはすでに慣れた人が多いいと思う。間違えは当たり前だ。組織が間違うことを認められるかではないだろうか。互いの問題点を含めて、許容し合うという事が出来なければ、良い活動にはならないのだろう。