アベ政権と森友学園
安倍総理夫妻は森友学園を素晴らしい教育だと公言するほど親しい関係だった。安倍氏はレッテル張りは止めてくれと国会で叫んでいる。稲田防衛大臣は夫妻で森友学園の顧問弁護士だったようだ。稲田氏は森友学園の弁護をしていたことまで忘れていたという。橋下元府知事は森友学園の認可に際し基準を緩め、手を貸してしまった。橋下氏は失態だと認めたが、その失態の原因は明確にしない。教育勅語好きはレッテルでなく、事実だ。また、隠すようなことでもない。私には左翼だというコメントがあるが、隠すようなことでもないし、レッテルだとは思わない。教育勅語を幼稚園児に暗唱させるような幼稚園を高く評価していた安倍夫妻。稲田防衛大臣。橋下氏。アベ政権が教育勅語を評価していることを、隠すところが却って不自然ではないか。右翼であることを隠そうという態度が、いかにも不自然だ。世界では極右政党が登場している。アベ政権の国民に自らの信条を隠したまま、憲法改正を画策する姿勢が許されないことなのだ。
アベ政権の右翼傾向は、何度も指摘してきた。不気味なことにこの問題に対して、ネトウヨが一切沈黙をしていることだ。森友学園は日本会議の関係者である。日本会議のメンバーには愛国の為であれば、何をしてもいいと言うすり替えがある。悪いことをしたという意識がない。ごまかして、補助金を多く貰おうとしていた事実があったとしても、愛国の為だと考える。何かのミスであるとか、修正するので問題ないとか、上手い言い逃れをして、心乱れない。経歴詐称はアルバイトのミスとなった。こういう人間が教育にかかわっているという事が私には怖い。戸塚ヨットスクール問題を思い出した。自己正当化に長けているのだ。従うだけの幼稚園児だけを相手にしている内に、自分が神のような人間であると思い込んでしまう。ここにヒットラーに通ずるものがある。
教育というものは、教育されるものと教育を行うものが、同じ地平に立たなくてはならない。人間存在はすべてに同等の価値があるという、基本的認識が重要である。そこに幼児の人格の尊重がうまれる。教育勅語の暗唱などさせてはならないのだ。教育勅語は明治日本帝国の教育指針である。アベ政権は、明治の日本を目指す政権と考えるべきだ。それを隠すところが良くない。その認識の上で国民が選択し、判断すればよいことである。アベ政権の本質が問題にされてこなかった。アベ政権は電通的な、テレビコーマーシャル的なソフトイメージ戦略で誤魔化している。その右翼的本質を隠している。今回の事件はやっとその本質の一端が表面化した事件だ。まず、維新の会や公明党はアベ政権の本質を理解したうえで、補完勢力化を続けるのかどうかである。現在の選挙制度の中では、確かに大きいものにぶら下がることが有利である。アベがだめなら小池があるさ。
本当に、与党議員の大多数が明治の御代の再現を願っているというのだろうか。それならそれで明確にしてもらいたい。おかしい教育だと考える人がいるなら、アベ政権で冷や飯を食う事を畏れず声を上げてもらいたい。森友学園は今の段階ではかなり特殊な学校運営を感じさせるが、これが普通の義務教育になるのが自民党憲法制定後の公立学校である。今の公立学校が、左翼の特殊学校という認識になる。これを穿った見方と考えてはならない。安倍氏や稲田氏や橋下氏の誤魔化し方を見ると、国民の知性を相当に見くびっている。防衛庁で日報の隠ぺいは、政府には分かっていたことだ。だからスーダンの引き上げが突然下されたのだ。国民は領土問題を持ち出せば、すぐ近隣諸国を敵視する。南京虐殺や従軍慰安婦の裏返し。野党では経済が衰退するというイメージ形成。何度もこの国をあきらめかかっている。それでも、希望というか、幻想というか、そういうものは捨てられない。