豊洲市場問題

   

豊洲市場問題は政治とは何かを考える良い事例である。築地市場の古く狭く、衛生管理不十分の市場を移転するのは必要な判断である。その移転先に何故汚染土壌が確認されていた豊洲が選ばれたかが問題とされている。安全か危険かを考える前に、汚染土壌の場所に食品市場を移転する感覚はおかしい。商品はあくまでイメージである。旦那!築地のネタですぜ。と言ってお寿司屋さんは商いをするのだ。豊洲のベンゼンは気化しても安全ですの張り紙があっても、美味しそうな魚屋さんには見えない。以前、豊洲には環境基準の何千倍もの汚染物質があった。こんな汚染が分かっているところに食品を扱う市場を移転させようという、愚かな判断を誰が下したのだろう。そう、尖閣を国有地化しようとしていた、石原都知事である。当初石原氏は内陸部の高速道路インターのそばに移すべきだと考えていたそうだ。ところが都の部局内部で、すでに豊洲に移転が決まっていて、即却下されたのだそうだ。これが政治の問題点である。

石原氏の安全に関する弁解だと、そんなことは素人の私にわかる訳がないになる。コンクリートボックスを埋めれば大丈夫だと言われたから決めたまでだと。政治の責任意識が欠落している。日本が負けたのは、専門の軍人に大丈夫だと言われたからだ。責任感のない第2次世界大戦の政府と同じだ。都知事は都庁にもあまり居なかったという、それでも選挙では石原氏が圧倒的な支持をされていた。要するに選挙民が見抜けなかったという事が最大の失政の原因である。生で魚を食べる文化の日本で、下流域の工業地帯に市場を作る発想が貧困極まりない。江戸時代の市場ならいざ知らず、都市計画が、実に発想力に乏しいではないか。小田原漁港では今でも海の水をくみ上げて使う。今魚市場と言っても、別段海から運んでくるわけではない。もっと交通の便の良い、日本中の漁港から、気仙沼からも、清水港からも運びやすいところが良い。つまり、既得権益と政治との関係がこの問題の背後にあることが見えてくる。新しい発想を打ち出し、現状を打破する方向を示すのが政治では無かろうか。

同じことが奥多摩に最終処分場を作るという、愚かさに表れている。逆である。豊洲に近代的なごみ処理場を作り、奥多摩に市場を作るべきなのだ。国の政治に躍起になっていて、まともに都政などしなかった石原元都知事の愚政の結果である。私は日の出の最終処分場問題では、樹木所有者にもなって抵抗したが、環境政策などどうでもいいと言う独裁政治家に押し切られた。豊洲市場がひどい汚染があるのを知っていながら、大したことはないと考えるところが、いかにも大雑把な石原氏らしい判断である。その結果東京都はひどい負の遺産をしょい込んだ。では小池さんはどうであろうか。何故、自民党を辞めないのだろうか。何のための東京大改革なのであろうか。都民ファーストは何を意味しているのだろうか。人気者になるのはなかなか巧みなようだが、何をしようとしているのだろうかもう一つ見えてこない。都民ファーストは、アメリカファーストと同根なのだろうか。

東京では多摩川の上流部に最終処分場を作り、ごみを埋め立てている。そしてその下流域の水を使っていることになる。そういう都市計画全体をないがしろにした。そして管理を十分にするから安全だと言い続けてきた。都市計画の発想が緩すぎる。そもそも、東京23区は暮らしという意味ではどうしようもない場所だ。過去のかかわりを一掃することなど出来ないから、那須への遷都計画が生まれた。あれも石原氏は蹴り飛ばした。その石原氏が圧倒的な指示で選挙で選ばれ続けたのだ。石原氏に金を返せという裁判もいいが、国政にしか関心のない都知事に票を入れないようにしなければ、こういうことは繰り返される。国政も同じである。韓国は日本に先行して、矢継ぎ早に政策を行ってきた。日本の政治の先行事例になる。中国と友好を深めた。しかし、アメリカと軍事同盟を深め、ミサイル配備を行った。その結果、中国は軍事力をさらに強化し、韓国排除を始めた。八重山諸島にミサイル配備を行うという事は、対立を深めるということになるという事が分かる。つづく、

 

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