2016年のこと
2016年を思い返す。役割を無事終えることのできた年だった。精一杯やれば良いこともあるものだ。健康に乗り切ることができて、有難いことだった。まあ昨年も同じような感想を書いた気がするが、繰り返しになるとしても気持ちは書いておく。自分だけの為に生きなければならない。少しは役立つという事で、自分の安心を得ようとしてきた側面は捨てきれなかった。そういう在り方が一番嫌いなことであるにもかかわらず、そういう領域からなかなか抜けきれない自分というものがまだあった。自分のやることはすべて自分のやりたいことだと決めて進んでゆくことになる。毎年そういう反省であるのだが。再確認という意味もある。世界は戦争状態にある。能力主義を建前とする経済戦争であり、格差、テロ、極右勢力、一国主義。日本も加わろうと深刻な状況に進んだ。
水彩人の事務所が、1月23日の総会で終わる。ほぼ役割が終わった。水彩人に関しては自分が事務所としてやれることはやり終えた。出来なかったこともいろいろあった。間違って迷惑もかけたことも多々ある。それでも少しだけ軌道修正が出来たと思う。規約の原点に戻ること、役割の分担制と民主的運営である。私にとっては水彩人が自分の繪を自問できる公の場にならなければ無意味である。上手く若い世代にバトンタッチができた。こんな幸運はないと思う。会の運営の中心が50歳前後でまとまっている公募団体は日本に他にはないだろう。自分が少しでも良い絵を描けばいいというだけの事になる。水彩人を自分の唯一の作品の共同研究の場としてきた。これからもそうありたいと思う。水彩人として、石川展が出来たことは今年一番うれしかったことだ。金沢大学の美術部の仲間も多数集まってくれた。水彩人の仲間の半分の人が石川まで来てくれた。まさかこういう幸運があるとは思いもよらなかった。良い展覧会ができてうれしかった。
水彩人を絵のことを本気で考え、語り合える場にしたいと思っている。水彩人石川展のギャラリートークの際、参加者の一人の方から、絵を語るなど馬鹿げていると思ったが、聞いていて良い面もあった。という感想をいただいた。自分の絵を言葉として語ってみることで、絵を描く自分の立ち位置が見えてくる。絵なぞ語るべきではないという意見が絵描きの間には案外に強い。絵がすべてとする人も多いい。言葉など捨てて、感じるまま描けばいいというような人も居る。それも間違いではない。しかし、水彩人は違う。規約に批評会をすることが書かれている会だ。また同人の間の作品評価をすることまで決まっている。絵画が私のものになっている意味を考える必要がある。頭の中で思考することは言葉で思考しているのだ。絵が芸術であるならば、その意味を言葉で、ある意味哲学的な思考をすることは、不可欠なことと考えている
田んぼや自給用の畑はおおむね上出来であった。食糧自給が1日1時間で今年も出来た。庭の畑も土が良くなってほうれん草が立派に育っている。田んぼの会、大豆の会、麦の会、お茶の会、そして新しく、タマネギの会。みんなでやる自給活動も順調に展開した。この形はほぼ安定した。危ないと思うと、力のある人が登場してくれる。不思議なことだがいつもそうである。欠ノ上田んぼでは今度面積が、2反は増える。欠ノ上田んぼメンバーで7反近い農地を管理することになる。舟原田んぼでも、5反を超える農地の管理になる。久野地域には子の神田んぼの1反5畝、お茶の会が2反。麦の会が1反。全部で165アールとなる。農の会の生産者と合わせれば、久野だけで3ヘクタール越える農地の管理になる。緊張感を持って取り組まなければならないことだ。一日1時間の自給はあと3年は何とかやれると思っている。最後に書くすれば世の中のことをあまり考えない様にしようと思った年だった。負けたわけではない、転戦である。