欠ノ上田んぼの対岸の伐採
欠ノ上田んぼでは19日に対岸の樹木の伐採を行った。一番大きな木で根回りでは抱えられない太さのある、白樫であった。7本切ったことになる。切るのも運び出すのも、いつも会の活動に協力してくれるお二人の方に頼んだ。自分たちではできない範囲の仕事であった。農地が放棄されるという事が起こるようでは、当然周囲の山はその前に荒れている。防風林のはずが、20メートルもある巨木になって、日陰を作っているところが良くある。継続して畑を管理されている方には、大いに迷惑なことなのだろうが、放棄されている状況がわかるだけに、現状を受け入れる以外にないという気分だと思われる。私たちも地主さんには話はするのだが、無理なことはわかっている。良く絵を描きにゆく篠窪では、集落のかなりの部分の耕作が続いているから、美しい景観が保たれているのだと思う。
欠ノ上田んぼでは、対岸の木が何十年も手入れがされずに伸び放題になっていた。少しでも管理が出来ればという事で、その荒れた土地を地代を払いして、竹藪を切り払い整備をした。キノコの栽培地などにした。タケノコを取ったりもしていた。ところが、そのことでタケノコを盗んでいるという風評が広がり、田んぼの運営にも影響が出たので、貸借契約を解消して対岸には入らないことにせざる得なかった。するとまた竹藪が茂り、木も伸び放題で田んぼまで日陰になり始めた。大水の時には大木が倒れて来て対岸の農地を覆ってしまうというような事故まで起きた。これは、県土木が森林組合に依頼して片付けてくれたが、日常管理は怠れないという事を痛感した。そこで、今回専門の方に依頼をして、伐採を行った。
篠窪ではNPO法人を作り、山の手入れをしている。だから絵になるような地域が保たれているのだろう。しばらく前まで竹藪に覆われていたところも多かったと聞いた。山仕事がボランティアになって、収入のある仕事にはならない。木の価格が手間賃にならない。よほど伐採と搬出に条件が良い場所ならともかく、たいていの場所では仕事にはならない。だから部落の共有林などでも、維持が持ち出しになっているところが多いいという。共有林を返上した地域もあるという。久野では白山中学の学校林がかつてはあって、建て替えの準備がされていたようだ。中学生が下草刈りや枝打ちに登ったという。久野地区の住民の共通の懐かしい思い出になっているようだ。しかし、その学校林というものも今はない。
地域の維持というものは、価格とは別のものだろう。もちろん国際競争力とは別物である。収入になる仕事だけを尊いと考える風潮である。どうやって美しい地域を作り出すかである。中山間地の農地を守るという事は、農地周辺の山の管理もするという事になる。全く収入につながらない山仕事をどうするか。資本主義の中で、どのように国土を維持するかは地方創生の中心に据える必要がある。今後しばらくは厳しい状況になるだろう。生き方として地域を守るというお年寄りが年々居なくなる。少しづつではあっても、久野の農地を守ることは続けたいと思っている。そして、自給的な暮らしをしてみたいという人が来て、山の管理まで少しはやれるようになればと思っている。自分の耕作している周辺だけでもきれいにしたいものである。家の周りを掃除する以上に、周りの里山の手入れをすることの方が大切ということだ。