箱根駅伝の5区が元に戻った。

   

5区だけを長くしたのは、おかしな変更だと何度か書いた。それが今回元に戻すことになった。ホッとした。5区を長くしたのは、男子マラソンが弱くなったことが理由とされていた。この10年男子マラソンはさらに弱くなった。5区の選手からマラソンの強い選手が出たという事もない。結局5区を長くする理由などなかったのだ。メガネスーパー前に移した理由は、中継所を小田原の街中に持って来たかったぐらいにしか思えない。今回、前に戻す理由を読むと、5区に比重が大きくなりすぎたという事である。かつては花の2区という事で、ここに各校のエースが集まり、ここから世界レベルのマラソン選手が生まれたのだ。駅伝は先行逃げ切りが戦術とされている。序盤で一旦リードすると、次からの選手は余裕のある走りができ、実力を出しやすい。全般抑え気味に走り、後半力を出し尽くす走りである。出遅れたチームの選手はどうしても、追いつこうとして自分のリズムを崩してしまう。

1区で差がついたとしても、一区間分である。そこで2区が重要になる。昔の箱根駅伝はここでその後のレースの性格が決まっていた。ところが箱根への急な登りの5区を長くしたがために、5区で一位の学校が優勝校に成る確率が高くなった。2区どころではなく重要度が5区偏重になった。しかも、戦略的に各チームが選手を構成していた微妙なバランスは、5区の延長でまるで意味をなさなくなった。それまでの箱根駅伝の醍醐味は10人そろって初めて勝てるという、チーム戦の良さであった。陸上競技は個人ゲームの傾向が強い。そこに駅伝という、まさに日本の伝統に基づいた競技を作り出したところの面白さである。駅伝では力が出るという選手がいる。大学対抗という要素が生まれて、かつての六大学野球のような盛り上がりが出来た。しかも六大学のような伝統校に独占されていないところが良い。頑張れば、新設大学でも出場できる自由さがある。新興大学の中には駅伝に大学こぞって力を入れるところが現れるほどである。

こうしてコースが変更されるたびに過去の記録が無意味化する。道路整備に伴うものは我慢するしかないが、発想の間違いで起きることは、運営の悪さそのものである。100メートル競技をその都度、101メートル、99メートルと変えれば、世界記録というものは無意味化する。駅伝をオリンピック競技にするためには、世界共通の納得のゆく、競技ルールを作る必要がある。東京オリンピックの際には、箱根駅伝を公開競技として行ってもらいたい。世界にこういう競技があることを広く伝えてもらう良い機会である。各国の代表が箱根駅伝を走ったとしたら、どのくらいのタイムが出せるのかも興味がある。世界中に存在する都市マラソンを街道駅伝として、復活するのだ。地域チームで出る駅伝など、地方の良さをアピールできる機会である。マラソン好きの知り合いによると、四国の四万十マラソンに仲間と行ってきたなどと言う話を聞く。仲間で行くから楽しいらしい。

江戸時代商業の発達によって整備された飛脚の伝統がある。東海道駅伝は出来ないものであろうか。かつての宿場町が連携して、東京から京都までを走るのである。と言っても新しい発想ではない。箱根駅伝が出来る前に、東海道53次駅伝が行われたのだ。来年はその100年である。1917年4月27日、京都を午後2時にスタート。約508kmを走りゴール地点不忍池に到着したのは29日の午前11時34分であったという。500キロを20人で走るのであれば、今の選手ならば、前日の朝出れば翌日の夕方には着くはずである。駅伝が日本の伝統の東海道の歴史を踏まえて作られれば、今のマラソンブームに、チームゲームの面白さが加わり、楽しいものになると思う。その時は当然半分は女子選手でなければならない。海外友好都市の招待チームの参加などもあれば、さらに楽しい交流になる。

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