中国の原発傾斜

   

中国が原発を今後、毎年8基程度原発を作り続ける方針のようだ。中国は経済危機を前にして、ほとんど自滅的な政策を進めようとしている。一向に改善できない大気汚染対策ということもあるのだろうが、いまさら原発に突き進もうということの背景にある、政権の焦りが浮き上がってくる。安倍政権も中国のことを見れば、いかに原発依存の政策が危なっかしいものであるかが身に染みるだろう。中国のことだから、いつか事故を起こしそうだ。そう考える日本人がたくさんいるだろう。しかし、日本の原発の方がはるかに危険度が高い。事故が頻繁に起こる中国であっても、作るのは新しい原発である。日本の旧型の原子炉の危険度は中国以上に高い、40年前の廃棄すべき原発まで、直して使おうという考えだ。原子力は新しい技術である。進歩しているはずだ。そうでなければおかしいことになる。日本のように古い原発を、廃棄の約束を破り40年を延期する無神経。そんな日本でも中国で原発建設ラッシュとなれば、不安を感じるのではないか。

原発の再稼働が川内原発に続いて、伊方原発も再稼働に進みそうだ。愛媛県議会が賛成ということだそうだ。賛成の判断も一つの選択である。しかし、賛成をした人はその責任だけは認識してほしい。福島原発事故では、原発を誘致し地域振興に賛成をした人たちは、被害者であると同時に加害者になっている。このことは重いことだ。原発の再稼働の条件は3つではなか。まずは地域の住民の賛成である。事故が起きた時に影響の強い地域の人の賛成がまず必要である。現在は、立地市町村の賛成に限定されている。これは、周辺自治体は恩恵を受けないにもかかわらず、事故時の対策が必要になるという矛盾を抱えることになる。2番目は放射線廃棄物の処理方法の確定である。どのような産業であれ、廃棄物の処理の道がないにもかかわらず、稼働が進められるというのでは、政府の自己矛盾である。これは未来の世代につけを回すということである。我々が電気を利用して、そのごみ処理はいつかやってもらおうということで、人間の倫理として許されないことだ。

3つ目が原発の発電コストである。政府は原発を安い電力と説明している。にもかかわらず、分かりやすいコスト計算を示そうとしない。原発の周辺部分で膨大な税金を注ぎ込んで、原発発電を安いものに見えるようにしている。少なくとも核廃棄物処理は発電コストで当たり前だ。福島では郡山市の体育館施設が「原子力立地給付金」から出ていたということが報道されたことがあった。それ以外にも電力会社からの寄付金という形で、コスト計算には入らない形のお金が垂れ流しされている。そういうものが一切なければ、誰が好んで原発誘致などするだろうか。以上の3点が再稼働の条件である。にもかからず、当たり前のこの3つが不明確なまま再稼働に突き進んでいるのが安倍政権である。そういえば最近安倍氏の人相が変わって、習近平氏によく似てきた。考え方が似ていれば顔も似てくるものだ。うちの犬は私によく似ている。そうでなくて私がうちの犬によく似ている。

仮想敵国中国と考えている政府は、中国に負けまいと原発を再稼働したいのだろうか。日本人全体が、中国のことならば、この原発依存がいかに危険なかけであるかを、冷静に見ることができるだろう。中国は極めて困難な経済状況に陥り始めている。自転車操業である。走り続けなければ倒れるということだろう。走り続けるために、最後の賭けとして原発依存を打ち出したように見える。周りからみれば駄々っ子のように見える。それでも中国は広い。原発の立地可能な場所もあるのだろう。日本は地震列島であり、火山列島であり、大きな津波も、大きな台風も襲来する地域だ。災害多発地域と考えなければならない状況である。日本で原発を作ることは、中国以上に危険だということを、政府は気づかなければならない。

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