水彩人展作品評
金田勝則さんの絵
毎年仲間の絵に対する、私の見方を書いておくことにしている。しっかりと見て、記録しておくことは自分のためである。文章化することで、自分の見方の反省にもなる。同人推挙の3人については先日書いたので、そのほかの会員の中にも同等絵を描いていた人がいた。北海道の金田勝則さんのことから、この人の絵には自然に対する畏敬の感情が漂っている。普通に風景を描いているようにも見えるのだが、見ていると自然の中にある野生の牙のようなもの顔をのぞかせている。奈良の西さんが里山風景で、まさに人間が作り出した風景という親しみを描いていることに比べ、対極にある。野生の自然は開拓されるものであるという北海道の原野の奥にある恐怖の感情ではないだろうか。自然は油断できないという、本能的な恐怖。飢えと対峙するような緊迫。そこから、何かあの桜の下には死体が埋まっているというような、イメージが同調してくる。彼岸の扉のような絵だと松波さんは言っていた。俳句では木の葉下?違ったか。「木下闇(こしたやみ)」というコメントを松波さんからもらいました。)なんかそんなような異界への扉の予感のようなことを言っていた。
昆野朋代さんの絵。
そういう意味では自然観が極めて人間的である良い絵を描いていた、昆野 朋代。この絵は感触がよかった。絵にある世界がまるで天国のようだ。個人的に最も親しみを感じる絵だった。今までの水彩画でこれほど深い自然の色はなかったのではないかと思うほどだ。例年素晴らしく深い色を出すのだが、今回の絵はさらに一段進んだ。色が良いということは、そう簡単なことではない。色がよく見えるということは、すべての状態が良いからそう見えることになる。絵の作りを良く知らない半可通はこの色はどういう絵の具の配合ですか、など言うが、そうではなくて、色はバランスであり、構成なのだ。色の分量なのだ。その総合的なバランスが整っていることで、色彩が美しい色に見える。そもそも汚い色などどこにもない。ただバランスが悪いから汚く見えるだけだ。色が良いだけの絵だといった評論をしている人がいたが、色の意味を知らない人の発言だと思う。
そのほかまだまだ会員の良い絵があった。それぞれによい絵を描かれているのだが、問題は一枚の絵ではなく、出品した絵全体で何を表現しているかが大切になる。審査の時は一枚の絵をよりも全体の印象が強くなる。こうしてみると今年の会員の絵の革新はすごい。水彩人の勢いを表している。水彩人を始めて絵を学び、研究するにはどうすればいいのか常に考えてきた。絵は一人で描くものだから、共同研究など無駄だという声もよく言われた。しかし、人間成長するためには、切磋琢磨し修行してゆかなければならない。一人の修業は禅に置いてもよくないとされている。良い結果が出始めて、水彩人を始めたことが間違いではなかったと確認できてうれしくなる。一般出品の人も36名も初入選の人がいるのだが、中には初入選で会員になった人もいる。多くの初入選の人のレベルが高く、水彩人展が新しい地平に顔を出したようだ。これは、水彩人の仲間だけの話ではなく、見に来てくれた他の絵の仲間の人たちの感想でもある。まあ、おせいじ半分と受け取らなくてはならないのだろうとはおもうが。
会員推挙された千葉さんのように新しい水彩人の傾向を表している人も登場した。千葉さんの絵は一見普通の静物画である。しかし、この絵は奥が深い。見つめる目の真剣さが伝わってくる。肌触りが模型作りのようなのだ。手作りの丁寧さというか、何かが違う。これからの絵が楽しみだ。大きな展開を期待したいし、予感させるものがある。
金田美智子さんの絵
やはり北海道の人の絵だ。とても美しい絵だ。筆触で伝わる水彩画の表現法。柔らかな世界観が良く出ている。この良き世界にある寂しさのようなものが、しみじみと伝わる。この伝わり方こそ、水彩画の伝え方なのではなかろうか。一般出品の人の中にもすごい絵があった。収穫の大きい17回展だ。
昨日は1000人を超えて入場者があった。いつもたくさんの人が見に来てくれるのは、絵を見ることが楽しめる展覧会になっているからなのだと思う。先日絵の展示の高さが低すぎないかという意見があって、みんなで再点検したが、妥当な高さではないかということになった。以前から、公募展は高く、画廊は低い。という傾向はあったが、最近はどこの会も展示の高さを低くしてきているようだ。
一方、問題点から言えば、達者な絵が出てきたようだ。これは審査というものの弊害なのだと思う。上手だから審査において、平均的に手が上がりやすくなる。水彩画には達者で、きれいごとに終わる絵の危険がたぶんにある。上手で、写真のように描けているので、褒められることばかりである。褒められていると己惚れる。本当の自分の絵に近づきにくくなる。装った世界で済んでしまう。世界はきれいごとではない。まあこの意味は難しいことでそれぞれのことであるが。ともかく、ただただ上手ではあるが、誰が描いたかわからないような絵では問題だ。良いお稽古ごとの絵に終わる。上手いは絵の外。こうした絵が、平均点的に審査で選ばれるのはいいことではない。今後の課題だ。