水彩人の手作り目録

   

目録を描いているところ。鶏が長鳴きをしているところを描いた。

水彩人展では目録を作っている。展覧会出ている作品の一覧である。たぶん、たいていの会が作っているだろう。しかし、水彩人の違うところは、すべて手描きの目録というところだ。以前は案内状も一枚一枚絵を描いて出していた。これはとても評判が良くて、止めた時にはなぜやめたのかと、残念だという声を聞いた。しかし、何千枚も出すようになって、さすがに手描きを続けることが出来なくなった。そこで、今度は展覧会の目録を手描きにすることにした。一人が20枚ほど持ち帰って描いている。全部で500部ほど作る。一部100円である。実費にも満たない価格である。記念になると思うし、会の手作りの感じが出ていていいと思う。また仲間全員の参加している気持ちが高まる気もする。しかし、目録はないかというので、どうぞこれです。100円頂きますというと、金を取るならいらないという人もいる。ただならもらいたいということだろう。そういう人は帰り道で捨てる可能性が高い。手描きにしたことも、100円もらうことも、大切にしてもらいたいからだ。

物があふれているから、物に対する愛情が薄れた。一つ一つのことへのかかわりの大切さを取り戻したい。絵との出会いの大切さも薄れてきているのではないか。水彩人では一枚一枚の絵との出会いを大切にしている。だから2段掛けなどは行わない。絵に申し訳ないと思うからだ。一枚の絵との出会いのその場になってもらいたい展覧会なのだ。もしかして、心に残る絵と出会ってもらえるかもしれない。一枚の絵との出会いが人の生き方を変えることだってある。ゴッホの絵を見て生きる決意をした人を知っている。134名202点の絵が並んでいる。水彩人展には様々な絵があると思うが、それぞれに出し尽くして描いていると思う。

私は自分の絵が、家にある時とは違う様子に見えた。沈潜して描いているかということだった。このことには家のギャラリーにあった時には気づけなかった。並んで初めてそういう絵だったのかと気づいた。いわゆる絵画を志向する絵から少し離れた。いや離れることができたようで嬉しかった。その意味では4枚も出す必要はなかったのかもしれない。絵作りのようなことは、私絵画に不要だということが確認できた。絵作りは見せるための視線がある。自分の内に向かうということは、自分の確認が出来ればいいわけだ。昨年そういう意味を関さんの絵から教えられて、少し、進むことができた。昨年の水彩人の展覧会が私にとっての貴重な出会いの場になった。そのことを昨年このブログにも書いた。私は風景を見ながら、関さんの目で見たらどう見えるのか、それをひたすら試みてみた。それは余計な思い、姑息な手段はいらないということが、いよいよ見えた。

ぜひ水彩人展に来ていただき、100円で私の鶏の目録を探して買ってください。先着20名だけですが。もちろんさまざまな魅力的な目録がずらりと並んでいます。それを買っていただいてもいいのです。もちろん買わないでも構いません。入場は無料です。気持ちの良い会場になっていますから、絵を描いていない人にも楽しんでもらえると思います。私は連日事務所につめています。受付で呼び出していただけば、すぐ顔を出します。

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