水彩人審査2日目

   

東京都美術館の搬入の受付。9月21日朝

絵の話ができるのは楽しい。日ごろ、絵のことに限れば閉じこもって考えている。一人で煮詰めて考えている。その考えていることは、自分の穴の中で、極端化している。怪物化していたりする。それを持ち出してみることができる場が、水彩人があるという有難さだ。光が差すということがある。会話の中で自分に気づくということがある。そうだったのかと、そういうことだったのかと、日ごろの行き詰まりの栓が抜けるような感じである。絵のことが話せるというのはなかなかないことなのだ。水彩連盟にいたころは、展覧会の中で絵のことを話すということは出来なかった。私は無理やり本音で絵の話を持ち出して、顰蹙を買っていた。そんな場ではないという認識である。絵の会には階級制度がある。それからいろいろの公募団体に出している人に、あなたの会では絵の話は自由にできますかということを聞いてみた。

並べて絵を審査している様子。9月21日午後

たぶん、10以上の日本の代表的な会の会員の方に聞いてみたと思う。会の代表の絵をおかしいと感じた時に、この絵はおかしいと本音で言えるでしょうか。と聞いてみたのだ。そういうことができると言われた会はなかった。すべての会員の絵をすばらしいと考えるからその会に所属しているのではないだろう。代表は変わるのだから、尊敬できる代表が交代したら、その会を止めるという人もまずいない。絵の公募展というものが絵のことを自由に話せない場であるなら、意味がないのではないかと思う。それが水彩人につながる、研究会を始めた。そしてその自由な水彩画の研究会が、いろいろあって公募展になった。だから絵のことを自由に話せる集まりにしたいと思っている。当たり前のことだ。しかし、常に検証が必要である。私の絵をぼろくそに言うような人がいないとすれば、それは怪しいくなり始めているのだと思う。

審査の様子。真剣に時間をかけて行っている。

水彩画において技術はどういう位置づけにになるのかを話す機会があった。いつものように上野で飲みながら話した。絵を描くときに、手順を考えない。素朴に取り組む。上手く描こうとしない。技術は災いする。こういうような10か条が目の前に張り出してある。忘れては大変なことになるからだ。10か条は何十年も前からそのような考えで続けてきたということになる。こんな考えだから、改めて技術を勉強するということは、できる限りやらないようにしてきた。絵をこれだけ続けてくると、ついつい技術が身についてしまったところもある。必要に応じて、悪戦苦闘して穿り出した、技術と呼べるようなアクが身についている。絵を描くということは常に行き詰まるということだ。行き詰っているということが画面に出ているようなものでありたい。見えていることが見えているように絵が描けないものだ。見ているものは、視覚的なものだけではないからだ。新緑を渡る風。こういう確かに見えているのだけれど、視覚だけではないもので世界は出来ている。まして、自分というものの目で見ているのだから、見えないものの世界まで見ている。

私が知る限り、大原さんは水彩の技術のすべてを持っていると思う。小野さんはある一つの技術を極めてきていると思う。二人の技術に関していえば、デパートと専門店のような人の絵を、若い頃から、ここまでついに来たのかという今回の作品まで身近に見てきた。その変化もよくよく知っている。そして水彩画の難しさは、技術がなければどうにも描けないものだと改めて思う。というような、自分の描いてきた考え方と逆の感想に同感する。技術がないがためにやりたいことができないでいる絵がたくさんあった。悪戦苦闘するには技術がなければできない。おかしな話かもしれないが、失敗するには技術がなければできない。つまり、その人に描きたい世界があって、それを描こうとして、失敗しているという本当の作業がわかるような絵が、魅力があるのだ。そういう失敗をするには、見えていなければならないし、同時に技術も無ければならないということなのだろう。問題に直面するための技術というものがあるのだろう。

 

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