天皇のパラオ慰霊訪問

   

天皇がパラオに慰霊に行かれた。体調が思わしくない中の慰霊の旅で、無事に帰られてほっとした。日本人の遺骨が、まだまだ南洋諸島に放置されている現状である。私の父も7年間も最前線の戦場にいっていた。そして戦後の食糧難時代で、結局学問の道諦めざる得なかった。南洋からの引き上げ船でなくなった親友の話を良くしていた。私の父の世代は戦争で死んだ人、人生を変えられてしまった人が無数にいた。天皇も戦争の中で育った。天皇家の戦争責任を含め、戦前戦後の立ち場の激変の中で成長した。誰よりも戦没者に対して深く思いを寄せる心がある事が想像される。それは、震災被害者への訪問を見ても、被害者に対する思いのよせかたは人一倍強い。誰しも見習わなくてはならない事だと思う。この機会に、南太平洋に眠る多くの戦没者の遺骨収集を進めてもらいたいものだ。この点安倍氏も口にしている事に、少しでも誠があるなら、早急に実行してもらいたいものだ。

天皇が無事に帰られるのを待って書きたいと思っていた事がある。何故、日本の海上保安庁の巡視船あきつしまの舟に泊ったのかという事だ。もし日本に中国の主席が来て、そんな事をしたら、どれほど失礼な事かと感じるだろうか。パラオに行けば、パラオのホテルに泊まる事が当たり前のことだ。パラオはリゾート地だから、立派なホテルが沢山ある。何処かを貸し切って使うと言う事が当たり前のことだ。これは天皇の問題ではない。そのコーディネートしている、宮内庁と外務省の責任である。天皇はこういう事に口を出さない事にしている。関係者の精神の劣化があるのではないか。パラオの方々に思いやる気持ちはどこにあるのか。もう一つは勘ぐりではないが、あきつしまがこうして出て行きたいと言う事が、若干あるのかもしれない。中国に対する威嚇行為としてである。いずれパラオの方々には、申し訳ない事になった。

ぺルリュー島という所で1万人もの兵士が、玉砕をした。戦争というものがいかに地獄を作り出すのかと、改めて考えさせられた。生き残り取りのこされた34人の人は、2年間もその島で戦争を続けていたという。大東亜共栄圏の八紘一宇の結果がこの姿である。戦争では何も解決できないという事が良く分かる。理想論はともかく、怒りで人間は動いてしまうのだ。人類みな兄弟を実現するのは、競争ではなく。思いやりであり、支え合いである。角突きあわすのではなく、許し合う事だ。それは家族でも、地域でも国でも、全く同じなのだと思う。相手を尊重し、大切にすることだ。ぺルリュー島は国連の日本に対する委任統治区である。植民地ではない。島民は900人位はいたらしい。彼らは日本軍と一緒に米軍と最終決戦をすると、島民の全員参加の相談で決めた。しかし日本の守備隊長はその申し出を断り、パラオに島民全員撤退させた。そして、自分たちは玉砕する。

パラオは戦後アメリカの委任統治区として長くあった。アメリカは南太平洋で原発の実験を繰り返し、放射能汚染で住めない島を作るほどの、蛮行を続ける。日本でもその放射能が残るぐらいだから、パラオにも被害は及んだ事だろう。平成6年に独立する。その国旗は日本の国旗と色違いかと思えるものである。青い背景の海に、黄色い満月である。日本をアメリカより良い国と考えてくれているのだと思う。その事を、中国や朝鮮と比較して日本の植民地支配の、良好な側面を強調する人がいるが、パラオ諸島の歴史的背景と、中国、朝鮮の歴史を考えれば、違って当たり前のことだ。歴史の深い文化を侵食して行くときの善意の評価は、相手次第なのだ。相手に日本以上に古い文化的伝統があれば、拒否反応が起こるのは当たり前のことだ。

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