三線の日
「ゆかる日まさる日さんしんの日」3月4日は「さんしんの日」である。沖縄の読谷村文化センターで三線に込めた平和の願いの唄祭りが行われた。23回目と言う。三線を購入した日が1月28日で、65の手習いを始めて、ひと月少しの所である。気持ちが盛り上がっている。それで是非とも沖縄まで行く事にした。午前、午後、夜の3部に分かれていて、出演者が違う。全部聞きたい、見たいと言う所がだが、整理券は1枚だけとなっている。それで午後の部に決めた。所がどうしたら整理券がもらえるか問う所が、県外の者には難しくて、津波三線店さんと言う所にお願いして、前日に取りに行くと無理に頼んでしまった。おかげで見に行く事が出来た。
1時間前に着いたのだが、既に人が並んでいた。整理券が手に入らないくらいだから、忽ちに長い行列になった。おかげで前から3列目の席に座る事が出来た。各部1000人で、3000人と言うことのようだ。待っている間も三線を弾く人がいて、踊り出す人もいるし、唄う人もいる。もう会場の外で盛り上がって入場である。午後の第2部は先島の民謡が特集されている。まず、宮古民謡研修会の踊りと歌で始まる。国吉源次さん83歳というお年寄りが、歌と楽しい踊りで、一気に盛り上がった。次に、かぎやで風を時報ごとに斉唱する。かぎやで風は祝い歌である。相当に古い歌で、琉球国の匂いが漂ってくる。琉球の文化の特徴は、伝わってきたものを大切に伝えて行くと言う事なのかと思う。中国から伝わった楽器がそのままに、残ってきたのが三線である。それが三味線になり、津軽三味線ののように、大きく演奏楽器として変化てゆくのが青森である。
津軽三味線の高橋竹童さんと、さんしんのよなは徹さんの、共演は見ものだった。さんしんとしては、早引きのすごいよなはさんの演奏なのだが、あくまで唄三線である。唄が中心であって、三線はあくまで伴奏楽器である。高橋さんの肝を抜くような曲引き演奏とは、全く違う。心の言葉を導き出す、音としての三線。それにしてもよなはさんの声は良い。聞き惚れる。声が良いのはみなさんなのだが、宮古の裕次郎といわれているという、仲宗根幸太さんの声は、素朴で温かい普通の声なのだ。観客に聞かせる声ではなく、浜辺で仲間で歌う声だ。こういう声が民謡の声なのではないか。民謡も特殊な発声で、常人を越える声で聞かせると言う方向もある。しかし、沖縄の唄の良さは、当たり前である事の深さに至っている。平和と言うものはそういうものではないだろうか。三線の響きが平和の響きと言うことの意味がよく分かった。
そしてお待ちかねの大工哲弘さんである。さすがの風格を感じる。少し雲の上の方に感じた。古謝さんの様な神がかり的ではないのだが、反骨の風格と言うようなものだろうか。穏やかだが、厳しい。味わいの深い歌である。そして大工苗子さんの踊りがすごい。一つの方に出来上がっているのだ、品格があり、楽しい。芸と言うものはこういうものかと思った。かじゃで風の舞台には紅型の黄色と青の大きな布が張られている。そこで踊られた、古典舞踊は能の舞のようではあるが、魂に暗さがない。霊魂の位置が違うと思った。能にある霊性は、深く暗く重い。深刻である。所が沖縄の魂は実に御先祖様がそこの屋根の上のシーサーと並んで見守ってくれているというような、身近で明るく楽しい。琉球の残して伝える文化の性格からして、日本人も本来愉快で明るい民族だったのではないかと想像した。
三線の神様、赤犬子終焉の場所である。ここにお参りに行った。三線が上手になるためである。