三線の練習
三線の練習をしている。ただ音を出しているといだけで、沖縄気分である。楽器をやった事はわずかしかない。ギターとフルートを少しやって挫折した。多分リズム音痴なのだと思う。音階の方はたどたどしいが何とかなるとしても、リズムを取ると言う事がおかしい。ギクシャクして思ったような調子にはならない。3拍子で身体を動かすというような事が出来ない。そこで棒のように音を出すだけをやっている。三線の楽譜と言うものは工工四(クンクンシー)というものでできている。合乙老四上中尺工五六七八とこれがドレミの代わりなのだ。それが縦書きでその脇に、複雑な記号がさらに添えられている。これは見ただけで無理だと思った。所が覚えてしまえば簡単だから、ともかく覚えろと言われたのだが、これがなかなか難しい。覚えると言う事は昔から不得意である。何か意味がある事ならまだしも、三週間は経ったが全く覚えられない。
そこで五線譜の本を買ってきた。小田原のブックオフにも三線を五線譜で弾くフォークソングと言うものが一冊だけあった。なかなか三線は人気があるようで嬉しくなる。気に入った曲は無いのだが、山本コウタローの「岬めぐり」があるので、それを弾いている。四分音符と八分音符が同じ長さになるのだから、おかしなものだがともかく楽しんで弾いている。縁側の暖かい所で気分良く音を鳴らしている。この写真は携帯電話の写真機能で撮影してくれて、その場でパソコンに送ってくれた。段々に沖縄の民謡をやりたいと考えている。安里屋(あさどや)ゆんたの楽譜を沖縄土産に買ってきてくれたので、それも少し始めた。成るほど唄三線というもので、三線は歌の伴奏楽器のようだ。開鐘(ケイジョウ)のカタログの演奏でも、どれも歌とい言うものがある。あくまで三線で演奏を聴かすというものではないようだ。
これは何故だろうかと思う。青森に行き着いた三味線は独立した楽器として成立する。津軽三味線は世界に通用する、唄の無い単独演奏の楽曲になっている。三本の線しかないとしても、演奏楽器に成れない訳ではないようだ。琉球ではあくまで歌が主で、それを支える事を良しとした三線文化なのだろう。歌で伝え残す暮らしの歴史の意味。言葉と言うものは重いもので、唄があれば、曲の方の意味はたちまち従属するものになる。同じ琉球弧でも、奄美の三線は、これはこれでまるで違うものになっている。竹の杓の様なもので演奏する、独特のきつい音色である。沖縄の三線は爪で弾く。爪は水牛やプラスティクのようだ。多分、象牙がいいと言う人もいるのかもしれない。三味線の撥は象牙である。同じ中国から600年前に渡って来た三絃という楽器が、このように地域で異なるものに成長した所が面白い。中国文化の日本の受容の仕方が地方地方で違う。
私の三線は与那国島で作られたものだと聞いた。那覇の親泊さんと言う三線の長老のお店で購入した。上間さんと言う方が作られて、そのお店に預けたものと言う事を聞いた。八重山クルチの棹だということだ。八重山クルチとは八重山諸島に自生していた、黒檀の事である。今は採取は禁じられている。何しろ音色が素晴らしい。私の様な初心者が弾いても響きが強く深い。勿論宝の持ち腐である事は分かっている。身分不相応の贅沢である。意を決して購入した。物欲である。友人の絵を購入したというような気持ちだ。一体音楽の素養のない人間が、年寄りの冷や水か、65の手習いなのか。どこまで物になるものか疑問ではある。ともかく沖縄にへばりついていたいと言う事である。絵を描き、一休みして、三線を鳴らし、また絵を描いている。この呼吸は悪くない。