新コントロール政治

   

志賀高原熊の湯の廃園 中判全紙 今熊の湯は雪に埋もれている事だろう。5月になったらまた行ってみたい。

日本の政治は実は新しい形の、独裁になってしまったのではないかと思い始めた。香港で自由選挙を求める路上占拠が、ついに撤去された。中国を見れば、成るほど一党独裁の政治だ、と誰にでもそう見えるだろう。しかし、日本の独裁型政治は、分かりづらい新しい形のものではないか。自由選挙ではあるのだが、経済の呪縛にコントロールされたような不自由選挙だ。中国では立候補が制限されている。選挙とは名ばかりである。こんなおかしなやり方が続けられている物ではない。自由を欲する人間の希望を抑えられるわけがない。日本の場合はヒタヒタと迫る経済崩壊の不安が操作の材料である。反動としての、経済成長のアベノミクス幻影ではないだろうか。経済成長の限界を感じている人は多いいと思う。しかし、もしかしたら何か摩訶不思議な妙法があるのかもしれない。藁にもすがろうというか、安倍氏に騙されたいと言うようなおぼろげな希望を、操る政治。確かに独裁と言う物とは違うが、お金にマインドコントロールされた政治。

幻影コントロール型、新独裁政治と言うものではないかと思い始めた。安倍氏にどこか実在を感じないのも、背後に安倍氏を操るぬえの様なものを感じてしまうのも、幻影にコントロールされているからなのではないだろうか。これは私のように平和憲法の実現を夢見る人間までもが、反対する必要な存在として含みこんでいる、おそろしく漠然としているのだが、コントロールである。反対が自由にできる社会という担保が、実は計算の範囲で許されている、がんじがらめの独裁。メディアは自由に物を言っているようで、あの朝日新聞たたきに表現されている。朝日新聞の落ち度など、随分前から言われていたことだ。それをどのタイミングで暴き立て騒ぐか。何も産経新聞に指示を与えるわけではない。ここを押せば、こうなるという、絶妙な呼吸が巧みなのだ。先日の総選挙の仕込み方には、その新独裁政治の真骨頂を感じる。もう今しかない。という絶妙な誘導と、そこへの持ち込み方である。消費税等本音ではどうでもいいはずだ。あまりに巧みだから、多くの人は背景のヌエの意図に気付かない。

イメージコントロールから、マインドコントロールと言うようなことである。オウム真理教が麻原と言う人形に支配されているという感じと同じである。勿論自民党はそんな悪の集団ではない。むしろまともな方だと思う。しかし、オウム真理教が充分な知識のある人達を、不思議なコントロールを出来たように、政治を商品の消費者動向の調査のように、先を予測し、販売戦略の流れを作り出し、誘導している気がする。少なくとも自民党はそうした世界で、勝ち抜いてきた優秀な人材を集めているのではないか。所が、こうした人達には、理念と言うか、思想とものが無い。あれば勘が鈍るのだ。株屋と一緒である。明確な理念が見え見えであれば、現代の大衆のコントロールはできない。先行きの不安と言う影を操る。円や株価の動き、TPPの行く末、中国の脅威。北朝鮮の跳ね返り。韓国の反日キャンペーン。こういうものを巧みに操作して、不安を増幅して行く。ネットによる世論操作も、計算ずくで行われている感じがする。

新独裁には方角が無い。支配したいという欲望は満たされるかもしれないが、思想が欠落している。例えば憲法改定を最終目標にと言う事は、石原氏ではないが満たされがたい。目標はあくまで、大衆のコントロールが先だからである。水を売りたいなら、先ず喉を乾かさなければならない。こういう商品を欲しくなる。そこに商品が登場する。憲法を改定したくなる環境を作り出す事に専念はしてみたが、そこまでは無理だという読みだろう。経済が良くなるようなイメージ作戦も行った。しかし、いずれも実態と言うものはイメージでは変えようがない。幻影はあくまで幻影である。私自身が自分の暮らしから、足元を見て自己確立する以外、マインドコントロールから逃れられない。

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